2020年7月号(第66巻7号)

楽毅の世界 ~ 続編

杏林大学保健学部長
神谷 茂

 宮城谷昌光氏の「楽毅」の読後感想を2002年11月に本項のエッセイとして執筆した。続編執筆の依頼があり、改めて本篇を読み返した。楽毅は中国の武将伝では中山国の宰相・武将として、わずか4千の兵で趙の武霊王軍団10万と対峙した呼沱(こた)の砦や塞での戦いぶりよりも、中山国滅亡後、燕の上卿として燕、趙、秦、魏、韓の連合軍の総将として、当時の強大国であった斉の70余城をわずか5年間で下したことが高く評価されている。楽毅はこの武勲により燕の昭王から昌国君に封じられた。残った斉の城は莒と即墨のわずか2 城となったが、即墨城では田単(後の安平君)が頑強に楽毅に抵抗した。連戦連勝の楽毅軍が何故、斉の城全てを下せなかったかについては詳細が不明である。小説では楽毅が若い頃、斉の首都・臨淄に留学中、市場の役所に勤める田単の父と親交を深めたことが、手心を加えた一因になっていることが考察されている。田単の母は田単が子供の頃、占い師に人相見をさせた結果、「この子供は将来、この国の宰相になる」との予言を信じて疑わず、田単が他国へ亡命しようとした際に、斉にとどまるべきであると諫めている。母の子に寄せる思い・愛情の深さが印象的であった。
 近年、腸内細菌叢と健康・疾病に関する研究が花盛りである。PubMed 検索によりmicroflora/microbiota/microbiomeを入力すると該当論文数は2017年のみで9,000編を超える。腸内細菌叢と自閉症との関連も多数報告されているが、その魁は米国のER Bolte の論文
(Bolte ER : Autism and Clostridium tetani. Med Hypothesis 51 : 133-144, 1998)である。Bolte夫人は自身の息子の自閉症が腸管内にて増殖する破傷風菌の産生する神経毒素に起因するという仮説を論文として発表するとともに、主治医のDr. Sandler に腸内に棲むクロストリジウム属細菌の除菌治療を依頼した。Dr. SandlerはBolte夫人の息子に抗菌薬治療を行ったところ症状の改善がみられたため、症例を増やして抗菌薬の自閉症患児への効果を評価し、専門誌に報告した(Sandler RH et al., Shorttermbenefit from oral vancomycin treatment of
regressive-onset autism. J Child Neurol 15 : 429-435, 2000)。Bolte夫人は医師ではなかったが、子を思う熱い気持ちが臨床医を動かしたと言える。これを契機に自閉症原因菌の探索論文は多数報告されるにいたった。
2004年、Song ら(Song Yet al., Real-time PCR quantitation of clostridia in feces of autistic children. Appl Environ Microbiol 70 : 6459-6465, 2004)は自閉症患者にのみ検出されるクロストリジウム属細菌を同定することに成功し、この菌名をBolte夫人の功績を記念して clostridium bolteaeと命名した。自閉症患児の腸管で増加する細菌は C. bolteae以外にもDesulfovibrio, Sutterella, Ruminococcus, Lactobacillus, Bacteroides等多数が報告され、真の原因菌の特定は未だ出来ていない。しかし、息子の自閉症の発症に腸内細菌叢構成菌が深く関与するとの仮説を論文として報告したBolte夫人の功績は高く評価される。洋の東西を問わず母の子を思う気持ちは深く、大きい。