2020年6月号(第66巻6号)

続・藪医者の墓談義

帝京短期大学ライフケア学科 教授
松田 重三

 NPO法人「葬送の自由を進める会」の基本理念、「遺骨/遺灰は海や山などの自然に還す」がマスコミに繰り返し取り上げられて30年余。広辞苑にも掲載される程今では多くの人々が概念として認識・受け入れ、形式はそれぞれだがいわゆる“ 自然葬”を実践する方が増えているようだ。
 葬儀社は生き残りをかけ、海洋葬や樹木葬などを取り入れるようになった。墓園・墓石業者も影響を受け家制度の崩壊、墓じまいで需要が減り既存の「墓」も荒れ放題。葬儀にとらわれすぎた寺院と僧侶も四苦八苦、跡継ぎ難にも遭遇している。
 これに目を付けたベンチャー企業の“みんれび”、あのアマゾンで「お坊さん便(僧侶派)」を始めた。全日本仏教会が猛反発し先行きが危ぶまれたが、それなりの人気を集めている。宗派を超えた登録僧侶200 人余が悩みに応じる匿名ウエブ相談サイト「hasunoha ハスノハ」もある。回答に満足したら「いいね」ではなく「有り難し」をクリックする。寺と人々の古くて新しい関係が再構築され、寺に戻ってくるきっかけになるかもしれない。
 戒名は要らないとする年代も増えた。高価な院号戒名が、あの世に行って何の役に立つのか、法事や墓参には本名のほうが、より個人を偲べると気がついたからだろう。盛大な葬儀を死者が喜ぶ、というのも一昔前のこと。義理で来る参列者が多いとこれまた気がついて、最近では親族・家族葬を選ぶ事が多くなった。
 最も簡素な方法は「直葬」だ。納棺し、通夜、葬儀は行わず死後48時間後火葬場で荼毘に付す。
 筆者はあと2年ほどで、何時死んでも不思議はない後期高齢者という年代に入る。通夜葬式はしない、直葬にする、戒名は要らない、遺骨は海に散灰すると決めて、妻には何度となく話してはある。しかし私の死後の実施決定権は妻にあり、本当に私の願いを叶えてくれるか疑心暗鬼にもなる。
 私の希望が叶わぬ可能性も否定できないので、百歩譲ってある程度納得できる妥協点を決めておくことにした。
 通夜、葬式は行わず直葬にするが、散灰はしない。私を偲ぶ印を残すために、本名を記した小さな墓石を土に埋める自然葬に近い形式の樹木葬にする、と妥協した。
 たまたま自宅から車で10 分程の所に、樹木葬も併設する墓園が出来たとの新聞折り込み広告が入っていたので、近いうちに見学がてら話を聞きに行くことにしている。
 死んでからの墓地探しは、あたふたとして妻は良い墓地を選べないし、私も気に入らない墓地に埋められたら百歩譲ったのに死にきれないからである。せめて自分の入る墓だけは見ておきたい。
 さてNPO法人「葬送の自由を進める会」であるが、創設者の初代会長から、著名な宗教学者に会長職がバトンタッチされた。しかし新会長の運営方針・理念が初代会長および旧理事、会員と大きく異なったため、支部員が次々に退会し新会長を告訴する事態も生じた。
 新会長はやむなく辞任、新体制でスタートすることになったが、「葬送の自由」は多くの人に認知、理解され実践されている今日、会の役目は終わり存続意義は大分少なくなったように思う。
 「葬送の自由の会」の会員でなくとも、自由な葬送を行うことが可能になっているからだ。むしろ会の規則に縛られて自由な葬送が出来なくなる危惧もある。年会費も払わなくて済む。
 私は10 年以上前に、そういう考えを持ち始めていたこともあり、初代会長に話して、理事を辞任し退会した。
 その選択は間違っていなかったと、今改めて感じる。