2014年2月号(第60巻2号)

新・真菌シリーズ 2月号

写真提供 : 株式会社アイカム

ミクロスポルム・フェルギネウム(鉄錆色小胞子菌) Microsporum ferrugineum

皮膚糸状菌症(白癬)の罹患率はあらゆる真菌症のなかでダントツ第1位である。そればかりか、わが国の白癬患者数は優に全人口の10%を超えると推定されていることを考えると、最早生活習慣病並みの国民病といっても過言ではない。しかも不思議なことに、近年問題となった日和見感染症でもなく古典的な伝染病ともいうべき(患者や罹患動物から直接的または間接的にうつるので)白癬の罹患率は、これだけ生活環境が改善され、本症の感染・発症機序が明らかにされ、診断法も治療法も進歩したにもかかわらず、低下するどころかむしろ上昇傾向にある。それがなぜなのかはさておき、1960~ 65年頃を境にわが国の白癬の疫学は著しく変貌した。それ以前に白癬とくに頭部白癬の主要原因菌種として白癬全体の30%以上、頭部白癬の50%以上を占めていたMicrosporum ferrugineum(鉄錆色小胞子菌)が急激に減少し、1970年代後半には完全に姿を消した。その理由は今もって大きな謎である。
すでに日本では幻の皮膚糸状菌となってしまったM.ferrugineumは、以前はわが国を含む東南アジア地域における代表的な白癬原因菌であった。したがって第二次大戦前後までは白癬に関心のある皮膚科医ならば誰でも本菌の直接鏡検像や培養コロニーを目にしていたはずである。事実、1920年代初頭には、日本の何人もの研究者が本菌と考えられる白癬原因菌を分離したことを国内の学術誌で報告している。そのなかで新種記載の国際的な基準に則って詳細な記述をフランスの雑誌(Bull, Soc, Pathol, Exot., 1922)に発表した1人の偉大な医真菌学者がいた。多数の優れた文学作品を残した木下杢太郎のペンネームでも知られる太田正雄博士である。現在本菌の正式菌名(有効名)となっているM.ferrugineumも、また和名の鉄錆色小胞子菌もコロニーの色に因んで彼が命名したものである。
本菌の最も特徴的な顕微鏡的形態は、「bamboo hypha(竹のような菌糸)」とよばれる直線的に長く伸びた菌糸である。ここまではすべての成書に記載されているが、これらの菌糸がくもの巣のように互いにつながっているのを私はこの写真で初めて知った。

写真と解説  山口 英世

1934年3月3日生れ

<所属>
帝京大学名誉教授
帝京大学医真菌研究センター客員教授

<専門>
医真菌学全般とくに新しい抗真菌薬および真菌症診断法の研究・開発

<経歴>
1958年 東京大学医学部医学科卒業
1966年 東京大学医学部講師(細菌学教室)
1966年~68年 米国ペンシルベニア大学医学部生化学教室へ出張
1967年 東京大学医学部助教授(細菌学教室)
1982年 帝京大学医学部教授(植物学微生物学教室)/医真菌研究センター長
1987年 東京大学教授(応用微生物研究所生物活性研究部)
1989年 帝京大学医学部教授(細菌学講座)/医真菌研究センター長
1997年 帝京大学医真菌研究センター専任教授・所長
2004年 現職

<栄研化学からの刊行書>
・猪狩 淳、浦野 隆、山口英世編「栄研学術叢書第14集感染症診断のための臨床検査ガイドブック](1992年)
・山口英世、内田勝久著「栄研学術叢書第15集真菌症診断のための検査ガイド」(1994年)
・ダビース H.ラローン著、山口英世日本語版監修「原書第5版 医真菌-同定の手引き-」(2013年)