2013年12月号(第59巻12号)

健康に生きるために(12)

それぞれの想い

728mm×515mm

今まで記述してきた健康法の根幹にあるものは全て血流を良くすると言うことです。自分で自分の身体を治すためには、具合の悪い部位に血流が十分に流れ、酸素・養分・ホルモンを与え、白血球などの防衛機能が働く事が必要です。
そのためには、正しい食生活、運動と筋トレ、体温を上げ、リラックスした副交感神経優位な生活を心がけることが重要です。高齢になっても元気な方は、いつも身体を動かして筋肉がたっぷり付いています。若い(中年でも間に合います)うちから筋肉を付けて、維持していきましょう。
最後に薬について一言。毎日患者さんに薬を投与している私が薬のことをとやかく言うのはおこがましいのですが、最近は薬が多すぎだと思います。慢性疾患が増えたせいもあるのでしょうが、ー生飲み続けなさいという薬も多くあります。
本来薬は体調の悪い時に一時的に使い、症状を抑えている間に、自己治癒力で治して、その後は飲まないと言うのが本来の使い方だと思います。薬は基本的に化学物質であり、毒と紙一重です。できるだけ身体には入れない事が望ましく、特に身体を冷やして血流を悪くしたり、交感神経を緊張させるものが多い事も問題です。薬に頼っていると身体の本来持つ治癒力が衰えてくるのだと思います。健康に生きるためには、できるだけ薬を飲まないようにして、自分の身体は自分で治すと言う意識が必要だと考えます。
長い間私のつたない文章にお付き合いいただきありがとうございました。自分で実践している健康法について書いてきました。人間は本来自分の力で健康になれるはずだと思います。いつ始めても遅いという事はありません。皆様の健やかな毎日を祈念して筆を置くこととします。

〇今月の作品:それぞれの想い
この作品は二科展デザイン部に出すために作ったものですが、残念ながら入選はしませんでした。
ずっとテーマにしてきた魚の立体像と、電子基板にアルミホイルを巻いたもの、コルク板を使った作品、木目を生かした背景などを色々と組み合わせて一つの作品としたものです。それぞれに私の想いが詰まっており、集大成とも言うべき作品です。
この2年間、24枚の作品を選んでいて、今までよくもこんなに描いた(作った)ものだと我ながらビックリしました。コンクールや公募展のために無理をした作品もあり、これからは出品は減らして、自分の心に添った作品を作って行こうと思っています。
絵とエッセイ 鈴木 孝成

多摩川の魚たち:http://homepage3.nifty.com/tamafish/(現在閲覧不可)
絵画のギャラリー:http://r-kaiga.suz.cc/(現在閲覧不可)

絵とエッセイ  鈴木 孝成

昭和28年1月12日
信州松本にて生を受ける

<職歴>
昭和57年…東京医科大学医学部卒業、放射線医学教室大学院に入学
昭和61年…東京医科大学放射線医学教室助手
平成2年…米国アリゾナ大学メディカルセンター核医学に一年間留学
平成4年…東京医科大学放射線医学教室講師
平成7年…東京医科大学退職、町田市にて、中町クリニックを開業。MRIを導入して地域の画像センターとしての機能を担っていた。
平成23年…中町クリニック閉院。

<絵の略歴>
幼い頃から絵や工作に熱中していた少年だったそうである。小学生の頃は、松本の月草絵画教室に通っていた。中学になって押し付けがましい美術の授業に嫌気がさして、物理部で飛行機ばかりやっていた。高校では、美術室入りびたりの生活となった。主に人物の油絵を描いていて、二科展絵画部に入選。大学は1年浪人後、飛行機好きが高じて東海大学航空宇宙学科に入学。その後も数年は夏休みに高校の美術部へお邪魔して二科展の油絵を製作し、2度目の二科展入選を果たす。その頃にPC-8001が発売されてパソコンブームとなり、ゲーム開発に熱中して絵の事はすっかり忘れる。芸夢狂人のペンネームで、雑誌に記事を載せたり、九十九電気にゲームソフトを卸したり大忙しであった。
東海大学卒業の頃はすっかり不況のまっただなか、希望する航空関係の企業に勤められる可能性も無く、東京医大を受験したところ、奇跡的に入学できて、ここからまた6年間の学生生活が始まった。
東京医大卒業後結婚し、放射線科医局へ入局後は忙しい新米医者の生活になり、絵を描くのは、子供とスケッチをする程度であった。
そして、ふと気づくと、50歳も過ぎ中年真っ只中であった。ひょんなきっかけからリアルな風景画の世界にはまり、現在に至っている。