2013年11月号(第59巻11号)

健康に生きるために(11)

BUG乱舞

728mm×515mm

〇呼吸法と姿勢
現代人は呼吸が浅くなっていると言われます。大きな息が必要なほどの運動もしないので、一日中一回も深呼吸をしない事もあります。肺を十分に使っていかないと、呼吸筋が衰え、肺胞自体も機能不全になっていくだろうと思います。
呼吸は、吸う時は交感神経、吐く時は副交感神経に支配されています。自律神経は自分の意志で動かすことはできないものですが、呼吸法で自律神経をある程度支配することができます。
深呼吸をする時に、吐く時間を吸う時間の何倍にも伸ばしてやることで、副交感神経優位にすることができます。リラックスするために深呼吸する時は、吐くことに意識を集中してみて下さい。脈を測りながら深呼吸してみると吐いている間に脈が遅くなることが感じ取れると思います。つまり、副交感神経優位になったわけです。
呼吸筋を鍛えるには口をすぼめて息を吐きます。一気に吐こうと呼吸筋に力を入れている時に、口をすぼめてわずかにしか息が漏れないようにしてやれば、呼吸筋に負荷をかける事ができます。トランペットを吹く時と同じ要領と考えて下さい。
姿勢も悪くなっています。一日中パソコンを使っていると、背中は丸くなり、首は前へ垂れ、肩は動かさないのでガチガチです。姿勢が悪くなるとまず「気」の流れが悪くなります。東洋医学では、気・血・水は一体と考えられていますから、循環も悪くなります。酸素が行き渡らず、疲労が蓄積し低体温となって来ます。自ら病気を作り出している訳です。
「ポージング」と言う治療法もあります。姿勢を良くして「気」の流れを回復させるもので、軽い不調はすぐに良くなってしまいます。治療の時は数mm単位の姿勢の違いで、全く流れの変わることもあり、私もまだ完全に習得できていません。でも、普段姿勢に注意して軽いストレッチで凝りをほぐすだけでも、かなり違うと思います。
姿勢を正し、深呼吸をして、副交感神経を優位にして血流を回復させましょう。

〇今月の作品:BUG乱舞
BUG(バグ)とは、虫の事ですが、コンピュータの世界ではプログラムのミスのことを指します。パソコンのプログラムをしていると、どんなに正確なロジックを組み立てていっても必ずバグに悩まされます。バグ取り作業はプログラミングの時間より掛かる事もあり、あまりに取れない時は最初から作り直しになる事もあります。
作品は、二重構造になっていて、奥のパネルに電子基板を並べてあります。穴から線につながった白いものが飛び出して来ており、これがBUGとなります。BUGだらけのコンピュータ社会を風刺した内容です(そんな大そうな考えで作った訳ではありませんが)。
上部に明り取り窓が空いており、後ろの基板は明るく輝くはずだったのですが、普通に前面からの光では目立たなくなってしまいました。可能なら上面に蛍光灯でも設置するとまた変わった雰囲気になったと思います。
この作品は、第62回中美展入選作品で、準会員に推挙されました。

多摩川の魚たち:http://homepage3.nifty.com/tamafish/(現在閲覧不可)
絵画のギャラリー:http://r-kaiga.suz.cc/(現在閲覧不可)

絵とエッセイ  鈴木 孝成

昭和28年1月12日
信州松本にて生を受ける

<職歴>
昭和57年…東京医科大学医学部卒業、放射線医学教室大学院に入学
昭和61年…東京医科大学放射線医学教室助手
平成2年…米国アリゾナ大学メディカルセンター核医学に一年間留学
平成4年…東京医科大学放射線医学教室講師
平成7年…東京医科大学退職、町田市にて、中町クリニックを開業。MRIを導入して地域の画像センターとしての機能を担っていた。
平成23年…中町クリニック閉院。

<絵の略歴>
幼い頃から絵や工作に熱中していた少年だったそうである。小学生の頃は、松本の月草絵画教室に通っていた。中学になって押し付けがましい美術の授業に嫌気がさして、物理部で飛行機ばかりやっていた。高校では、美術室入りびたりの生活となった。主に人物の油絵を描いていて、二科展絵画部に入選。大学は1年浪人後、飛行機好きが高じて東海大学航空宇宙学科に入学。その後も数年は夏休みに高校の美術部へお邪魔して二科展の油絵を製作し、2度目の二科展入選を果たす。その頃にPC-8001が発売されてパソコンブームとなり、ゲーム開発に熱中して絵の事はすっかり忘れる。芸夢狂人のペンネームで、雑誌に記事を載せたり、九十九電気にゲームソフトを卸したり大忙しであった。
東海大学卒業の頃はすっかり不況のまっただなか、希望する航空関係の企業に勤められる可能性も無く、東京医大を受験したところ、奇跡的に入学できて、ここからまた6年間の学生生活が始まった。
東京医大卒業後結婚し、放射線科医局へ入局後は忙しい新米医者の生活になり、絵を描くのは、子供とスケッチをする程度であった。
そして、ふと気づくと、50歳も過ぎ中年真っ只中であった。ひょんなきっかけからリアルな風景画の世界にはまり、現在に至っている。