2013年8月号(第59巻8号)

健康に生きるために(8)

IN/OUT

728mm×515mm

〇正しい食事法
ダイエットを始めた頃は、何しろカロリーさえ落としていけば良いだろうと油物を減らし、米を減らし、マイクロダイエットなど、ダイエット食も色々と試しました。確かに食べなければ体重は減ります。しかし、この時に落ちてくるのは主に筋肉です。肝心の脂肪はなかなか減ってくれません。そして筋肉が無くなると基礎代謝が落ちるので、太りやすくなり、リバウンドしやすくなります。減食と運動(特に筋トレ)はセットにしないといけません。
ホリスティック医学を学んで、食事療法には非常に多くの種類があることがわかりました。その中でも有名なものが、あのマドンナもやっていると言われているマクロビオティック療法です。玄米菜食で肉を食べず、陰陽を考えた食材を使います。農薬を使わない安心な食材も専門の店で売っていますが、かなり高価です。健康も金で買う時代ですかね。マクロビオティック療法は専門の本を読んでいただきたいと思いますが、私はこの中からできそうな部分だけをアレンジして実践しています。
米は無農薬有機玄米を取り寄せています。農薬はヌカに蓄積するので、玄米を食べるなら無農薬が必須です。これを精米機で7分付米にし、玄米と半分ずつ混ぜて普通に炊いています。私は少し固い位でプチプチ感のある御飯が好きです。御飯は最底でも30回以上噛むことです。良く噛むことで唾液アミラーゼが働き消化吸収が良くなると同時に、あごの筋肉を鍛え脳血流が良くなります(頭も良くなるはずです…)。
肉は基本的には食べないのですが、仕事で外食の日もあるのでそうもいかない事も多いです。魚もほどほどで週に1,2回程度です。タンパク質は納豆や豆腐など大豆製品から摂ります。血糖値を上げないことが抗加齢やダイエットに重要とのことで、最近は食前に野菜を山のように食べることにしています。御飯・納豆・味噌汁と野菜のみの食事も多いです。

〇今月の作品:IN/OUT
夏にあちこちのひまわり畑で行われる「ひまわり祭り」の写真を撮りに行った時に、この作品を思いつきました。太陽側から写真を撮るとひまわりの花は皆こちらに顔を向けており、反対側から撮ると裏が見えています。花の正面には魚の顔を、裏には魚の尻尾を粘土で作って貼り付けました。様々な大きさを何百と作ってけっこう大変でした。初めて透明粘土と言うものを使ってみたのですが、本当に透明になってしまい、遠くから見るとそこにあることがわからなくなってしまい、結局色を塗りました。最初にちゃんと試してみないといけないと反省しました。
右側の画面からあちらの世界へ入り(IN)、左側の画面から出てくる(OUT)と言うものです。右の画面で1匹だけ躊躇して振り返っているのが愛嬌です。
2009年第94回二科展デザイン部D部門特選作品です。

多摩川の魚たち:http://homepage3.nifty.com/tamafish/(現在閲覧不可)
絵画のギャラリー:http://r-kaiga.suz.cc/(現在閲覧不可)

絵とエッセイ  鈴木 孝成

昭和28年1月12日
信州松本にて生を受ける

<職歴>
昭和57年…東京医科大学医学部卒業、放射線医学教室大学院に入学
昭和61年…東京医科大学放射線医学教室助手
平成2年…米国アリゾナ大学メディカルセンター核医学に一年間留学
平成4年…東京医科大学放射線医学教室講師
平成7年…東京医科大学退職、町田市にて、中町クリニックを開業。MRIを導入して地域の画像センターとしての機能を担っていた。
平成23年…中町クリニック閉院。

<絵の略歴>
幼い頃から絵や工作に熱中していた少年だったそうである。小学生の頃は、松本の月草絵画教室に通っていた。中学になって押し付けがましい美術の授業に嫌気がさして、物理部で飛行機ばかりやっていた。高校では、美術室入りびたりの生活となった。主に人物の油絵を描いていて、二科展絵画部に入選。大学は1年浪人後、飛行機好きが高じて東海大学航空宇宙学科に入学。その後も数年は夏休みに高校の美術部へお邪魔して二科展の油絵を製作し、2度目の二科展入選を果たす。その頃にPC-8001が発売されてパソコンブームとなり、ゲーム開発に熱中して絵の事はすっかり忘れる。芸夢狂人のペンネームで、雑誌に記事を載せたり、九十九電気にゲームソフトを卸したり大忙しであった。
東海大学卒業の頃はすっかり不況のまっただなか、希望する航空関係の企業に勤められる可能性も無く、東京医大を受験したところ、奇跡的に入学できて、ここからまた6年間の学生生活が始まった。
東京医大卒業後結婚し、放射線科医局へ入局後は忙しい新米医者の生活になり、絵を描くのは、子供とスケッチをする程度であった。
そして、ふと気づくと、50歳も過ぎ中年真っ只中であった。ひょんなきっかけからリアルな風景画の世界にはまり、現在に至っている。