2012年9月号(第58巻9号)

癒しの風景画(9)

箱根神社参道 (神奈川県)

910mm×652mm

〇絵を描く期間は?
これは、良く聞かれる質問ですが、何とも難しいですね。気分が乗って暇があるときでしたら、10号程度の絵は2日ほどで一気に仕上げてしまいます。50号(畳半分)位の絵になると、途中に休憩も入るので1ヶ月以上かかります。いかに描く気力を持続させるかが肝心でして、もうちょっとで完成というのに、心が次の絵の方に移ってしまうと、もう描く気が失せてしまってそのまま何年も放っておく事もあります。
仕事が忙しかったりすると何日も空いてしまうので、描く気が失せることもありますが、その間、眺めている事で、より良いアイデアがわいてきて、休憩が吉にでる事もあります。
完成に近づいた絵をどこで止めるかは非常に難しいです。だらだらと書き足していると、いつまででも完成しないのですが、描きすぎはたいてい失敗につながります。公募展やコンクールの絵は締め切りが決まっているので、たいてい足りないと思っているうちに搬入日が来てしまいます。でも、この程度が一番良いのかもしれません。

〇今月の絵:箱根神社参道
2年に1回、箱根を主題とした絵画コンクールが開催されます。ここに出す目的で箱根には何回か写真を撮りに行きました。芦ノ湖に富士山という風景は素晴らしく綺麗ですが、あまりにありふれています。やはりコンクールとなると綺麗なだけで無く、何か訴えるものがないと駄目なんですよね。
箱根神社へ着いたのは、もう夕方近かったのですが、参道に斜めに差す陽差しによって、参道の杉の大木が輝いていました。これと赤い鳥居の組み合わせは絶妙であり、この絵でコンクールに臨みました。何か賞にでも入らないかと下心がミエミエだったのか、入選どまりでした。会期中は、彫刻の森美術館に展示され、入場者が好きな絵に投票します。なんとこの投票では、堂々の2位に入りました。審査員より素人の方が見る目があると溜飲を下げたものです。
H19年10月、第23回箱根風景画展入選作品です。
多摩川の魚たち:http://homepage3.nifty.com/tamafish/
絵画のギャラリー:http://r-kaiga.suz.cc/

絵とエッセイ 鈴木 孝成

昭和28年1月12日
信州松本にて生を受ける

<職歴>
昭和57年…東京医科大学医学部卒業、放射線医学教室大学院に入学
昭和61年…東京医科大学放射線医学教室助手
平成2年…米国アリゾナ大学メディカルセンター核医学に一年間留学
平成4年…東京医科大学放射線医学教室講師
平成7年…東京医科大学退職、町田市にて、中町クリニックを開業。MRIを導入して地域の画像センターとしての機能を担っていた。
平成23年…中町クリニック閉院。

<絵の略歴>
幼い頃から絵や工作に熱中していた少年だったそうである。小学生の頃は、松本の月草絵画教室に通っていた。中学になって押し付けがましい美術の授業に嫌気がさして、物理部で飛行機ばかりやっていた。高校では、美術室入りびたりの生活となった。主に人物の油絵を描いていて、二科展絵画部に入選。大学は1年浪人後、飛行機好きが高じて東海大学航空宇宙学科に入学。その後も数年は夏休みに高校の美術部へお邪魔して二科展の油絵を製作し、2度目の二科展入選を果たす。その頃にPC-8001が発売されてパソコンブームとなり、ゲーム開発に熱中して絵の事はすっかり忘れる。芸夢狂人のペンネームで、雑誌に記事を載せたり、九十九電気にゲームソフトを卸したり大忙しであった。
東海大学卒業の頃はすっかり不況のまっただなか、希望する航空関係の企業に勤められる可能性も無く、東京医大を受験したところ、奇跡的に入学できて、ここからまた6年間の学生生活が始まった。
東京医大卒業後結婚し、放射線科医局へ入局後は忙しい新米医者の生活になり、絵を描くのは、子供とスケッチをする程度であった。
そして、ふと気づくと、50歳も過ぎ中年真っ只中であった。ひょんなきっかけからリアルな風景画の世界にはまり、現在に至っている。