2012年6月号(第58巻6号)

癒しの風景画(6)

波紋 (長野県)

530mm×415mm

〇絵画再開のきっかけ
中年も真っ只中の頃、家内は押し花のインストラクターとして何人も生徒を持って活躍していましたが、私は今更芸術の世界に戻って絵筆を握ろうとは思っていませんでした。
ある日、家内の友人に写真のような絵を作る人がいると言うので、誘われて自宅まで見に行きました。本人はティッシュペーパー絵と称していましたが、普通のティッシュを染めて何百という色を作り、一番小さなカッターの刃を使って、1mmより小さな切片にして画面に貼りこんでいくものです。ものすごい緻密な作業なのですが、あまりに細かいので虫眼鏡でも使わないと普通に描いただけのリアルな絵に見えてしまいます。何カ月も集中して作らなくてはいけなくて、とても私にはできないと思いましたが、その時、パッと頭に閃いたのが、同じような効果をもっと簡単に出来る方法です。

その日帰ってから、早速と1枚簡単な水彩画を描き、針で引っかいては細いラインをつけていくと、そこに地色の白が浮き出してきて、リアルっぽい光の雰囲気が描写されました。我ながらけっこう上手く出来たと思い、これがきっかけで、この技法「削り絵」を極めていく事となり、絵画の世界に逆戻りしたのでした。

〇今月の絵:波紋
梅雨の時期と言えば、雨ですよね。雨を表現するのに最適なのが波紋です。波紋も好きなモチーフで、何枚か描いています。
この絵の場所は梓川です。写真を撮っていたら、あいにくの雨降りになってしまいました。傘を差しながら、川べりを歩いていたら水溜りに波紋が沢山見えました。水草や藻で水中は緑色で、複雑な色彩を呈し、横の木の陰が水面に落ちて、何とも言えない色の爆発を感じました。
最初は20号の大きさで描いたのですが、深みをうまく出せていなかったので、翌年10号に書き直したのが、この絵です。
H19年4月、第1回東光会小作品部門にて、クサカベ絵の具賞に入りました。副賞でクサカベの水彩絵の具セットをいただきました。
多摩川の魚たち:http://homepage3.nifty.com/tamafish/
絵画のギャラリー:http://r-kaiga.suz.cc/

絵とエッセイ 鈴木 孝成

昭和28年1月12日
信州松本にて生を受ける

<職歴>
昭和57年…東京医科大学医学部卒業、放射線医学教室大学院に入学
昭和61年…東京医科大学放射線医学教室助手
平成2年…米国アリゾナ大学メディカルセンター核医学に一年間留学
平成4年…東京医科大学放射線医学教室講師
平成7年…東京医科大学退職、町田市にて、中町クリニックを開業。MRIを導入して地域の画像センターとしての機能を担っていた。
平成23年…中町クリニック閉院。

<絵の略歴>
幼い頃から絵や工作に熱中していた少年だったそうである。小学生の頃は、松本の月草絵画教室に通っていた。中学になって押し付けがましい美術の授業に嫌気がさして、物理部で飛行機ばかりやっていた。高校では、美術室入りびたりの生活となった。主に人物の油絵を描いていて、二科展絵画部に入選。大学は1年浪人後、飛行機好きが高じて東海大学航空宇宙学科に入学。その後も数年は夏休みに高校の美術部へお邪魔して二科展の油絵を製作し、2度目の二科展入選を果たす。その頃にPC-8001が発売されてパソコンブームとなり、ゲーム開発に熱中して絵の事はすっかり忘れる。芸夢狂人のペンネームで、雑誌に記事を載せたり、九十九電気にゲームソフトを卸したり大忙しであった。
東海大学卒業の頃はすっかり不況のまっただなか、希望する航空関係の企業に勤められる可能性も無く、東京医大を受験したところ、奇跡的に入学できて、ここからまた6年間の学生生活が始まった。
東京医大卒業後結婚し、放射線科医局へ入局後は忙しい新米医者の生活になり、絵を描くのは、子供とスケッチをする程度であった。
そして、ふと気づくと、50歳も過ぎ中年真っ只中であった。ひょんなきっかけからリアルな風景画の世界にはまり、現在に至っている。