2012年3月号(第58巻3号)

癒しの風景画(3)

春の宴 (東京都)

730mm×515mm

〇使用する画材
素材は基本的に紙を使います。紙は水をつけるとデコボコになるので、最初から木製パネルに水張りしたり、スチロールのパネルに貼ってから描きます。削りをするようになってからは、表面の粗い紙は削りにくいので、平滑な紙を使うことが多くなりました。平滑な紙はパステルが付着しにくく、粉が落ちてしまうのですが、何度かフィクサチーフ(定着液)をスプレーしているうちに、ザラザラになってきて描きやすくなります。
画材は、昔は油絵具を使っていましたが、臭いがすることと、乾くのに時間がかかるために、イライラするので、最近は使っていません。最初はパステルから使いはじめました。チョークのように太い一般のパステルは、大きな面積を塗るには良いのですが、リアル画のように細かく描くには不向きです。そんな時に見つけたのが、パステル鉛筆で、細い線も自由自在ですから、しばらくはこればかり使いました。しかし、鉛筆だけで大きな絵を描くのはとてつもなく時間が掛かるので、大ざっぱで良い場所にはアクリル絵の具も使い始めました。使い方は、毛羽立った硬い筆を使い、垂直に打ち下ろすようにして、多数の点々を描いていきます。パレットで混色をして使うのは面倒なので、絵の具そのままの色を使います。沢山の色を次々に重ねていくことで、印刷のドットのような効果で、複雑な異なった色が産まれてきます。一種の点描画です。
最近は透明感の必要なところには透明水彩も使います。他には、熱したコテを使って紙を焼いて茶色を出したり、アニメーターの使うコピックのマーカー、これを使ったエアブラシ、クレヨン、墨、岩絵の具など、使えるものは何でも使います。現在の極めつけは紙粘土です。剥がれやすいのが欠点ですが、白が綺麗なのと、軽くて立体表現が容易なので今後使える素材だと思っています。

〇今月の絵:春の宴
3月にふさわしい作品としては桜がありますが、振り返ってみると桜を描いたことはほとんどありません。写真は沢山撮りためてあるのですが、あまりにありふれた風景は描くのがかえって難しいのです。
この絵は上野の不忍池で、そろそろ夕暮れになる頃の風景です。池の上に張り出した桜を通して対岸の夜店の明かりが輝きだす頃で、池に暗く写った桜の枝を墨で描いて雰囲気を出しています。リアルを追求した絵ではなく、雰囲気描写を中心としました。
池の上には散り落ちた桜の花びらが一杯でした。家内が押し花作家をやっているので、押した桜の花びらをもらって貼り付けたのですが、半年もすると色あせてしまい、花びらが目立たなくなってしまったので、その後粘土で花びらを沢山作って張り替えました。
H22年11月、第17回町田市「市展」入選作品です。
多摩川の魚たち:http://homepage3.nifty.com/tamafish/
絵画のギャラリー:http://r-kaiga.suz.cc/

絵とエッセイ 鈴木 孝成

昭和28年1月12日
信州松本にて生を受ける

<職歴>
昭和57年…東京医科大学医学部卒業、放射線医学教室大学院に入学
昭和61年…東京医科大学放射線医学教室助手
平成2年…米国アリゾナ大学メディカルセンター核医学に一年間留学
平成4年…東京医科大学放射線医学教室講師
平成7年…東京医科大学退職、町田市にて、中町クリニックを開業。MRIを導入して地域の画像センターとしての機能を担っていた。
平成23年…中町クリニック閉院。

<絵の略歴>
幼い頃から絵や工作に熱中していた少年だったそうである。小学生の頃は、松本の月草絵画教室に通っていた。中学になって押し付けがましい美術の授業に嫌気がさして、物理部で飛行機ばかりやっていた。高校では、美術室入りびたりの生活となった。主に人物の油絵を描いていて、二科展絵画部に入選。大学は1年浪人後、飛行機好きが高じて東海大学航空宇宙学科に入学。その後も数年は夏休みに高校の美術部へお邪魔して二科展の油絵を製作し、2度目の二科展入選を果たす。その頃にPC-8001が発売されてパソコンブームとなり、ゲーム開発に熱中して絵の事はすっかり忘れる。芸夢狂人のペンネームで、雑誌に記事を載せたり、九十九電気にゲームソフトを卸したり大忙しであった。
東海大学卒業の頃はすっかり不況のまっただなか、希望する航空関係の企業に勤められる可能性も無く、東京医大を受験したところ、奇跡的に入学できて、ここからまた6年間の学生生活が始まった。
東京医大卒業後結婚し、放射線科医局へ入局後は忙しい新米医者の生活になり、絵を描くのは、子供とスケッチをする程度であった。
そして、ふと気づくと、50歳も過ぎ中年真っ只中であった。ひょんなきっかけからリアルな風景画の世界にはまり、現在に至っている。