2009年8月号(第55巻8号)

墨画にのめりこんで

奥多摩渓流

どの川も上流に行くと両側から山が迫り、空気はよく、渓流の水は澄んでおり、空には赤とんぼが飛び、命のふるさとに戻るような快さがある。
私がよく出かける奥多摩の渓流も、週末の特別快速電車を利用すると、新宿から1時間10分で御嶽に着く。電車に乗ると、老いも若きもハイキング姿であり、雰囲気満点である。私がよく行くのは、御嶽駅で下り、そこから渓流沿いによく整備された遊歩道を上流に向かって約1.5km行く。そこに御嶽美術館がある。その途中にキャンプ場、魚釣り場、水遊び場などがある。一方駅の前にある橋を渡って下流に向かうと、玉堂美術館があり、少し下って吊り橋を渡り対岸に移って川沿いを行くと、渓流が岩を噛みあるいは淀み結構眺めを楽しみながら1.5kmで沢井駅に着く。
渓流が巨岩を縫って流れるさまは、なかなかの見ものである。そこが今日若者の間でカヌーの格好の練習場になっている。御嶽橋のすぐ上流には、カヌーの練習をする選手達の定宿がある。上手な選手も新人選手もいるらしく、沢下りで舟がひっくり返り、また立ち直っているのが見られる。
川の水が流れているのを見ていると、生き物のように見える。川合玉堂が御嶽に疎開したのは、第二次戦争が終わりに近づいた昭和19年7月、当時71歳。晩年の12年余をすごし、昭和32年に84歳で死去した。彼が描いた奥多摩の自然は今とかなり違う。魚を釣る人は、股引をはき、鉢巻をし、草鞋履きである。村の道を往く荷車も牛や馬が牽いている。雨降りにさしているのは番傘であり、これらすべてが趣のある田舎風情であるが、今は自動車が走る轟音が耳にうるさい。釣り人は皆洋装で、長靴をはき、リールの付いた釣り竿で釣っている。

絵とエッセイ 藤本 吉秀

大正15年(昭和元年)生まれ。昭和の年号がそのまま年齢になった。

<職歴:内分泌外科医>
もと東京女子医大内分泌外科教授。1987~1989の2年間国際内分泌外科学会会長を務めた。
今は癌研有明病院、日本赤十字社医療センター、調布東山病院で甲状腺診療をしている。

<絵の略歴>
昭和59年、八丈島から贈られた黄色のシンピジウムがとても美しいので色紙に描いてから、季節の草花を色紙に描くのが趣味となった。平成10年、柏市で甲状腺外科検討会がひらかれた時、会場の近くの画廊で色紙の個展をした。
その後、松下黄沙(Group 82)について墨絵三昧。
2人展(平成14年)、12人展(平成16年)をはじめ、春、初夏、秋にそれぞれ各種グループ展に出展。

<運動>
ずっと以前のことになるが、学生時代、一高、東大を通してボートを漕ぎ、昭和24、25年8人で漕ぐエイトで連続全日本選手権制覇。

はじめの1年間は、「色紙に季節の草花を描く」をテーマにして出します。
次の1年間は、「墨画にのめりこんで」として、風景、植物、仏像など何でも取り上げて描きます。