2008年5月号(第54巻5号)

色紙に描く季節の草花

花水木

日本の桜に対応するアメリカの花木は、この花水木(ダグウッド)といってよい。第二次世界大戦後、アメリカから入ってくるものがすべて新鮮であり、一歩も二歩も進んでいるように見えたものであるが、知的娯楽の筆頭である新聞漫画の主人公ダグウッドという名の若者の姿がなんとユーモアと好男子の見本のように見えたことか。日本でもし「さくらさん」と言うと、まず女性を連想するが、アメリカの「花水木」さんは好ましい青年であった。

それから15年以上経って、遅まきながらアメリカ東北部ニューイングランドのボストンに留学した。緯度からいうと日本の北海道に相当する。冬が長く寒さが厳しい。それだけに4月下旬から5月上旬になると、待ち焦がれていた春が一気にやってくる。まず木蓮(マグノリア)と連翹(れんぎょう)(フォーシシア)が咲く。それからしばらくして花水木が花盛りだという便りが、新聞やテレビをにぎわす。

ニューヨークで学会があるので、家族を伴い初めて自動車で高速道路に入った。ニューヨークまで高速で5時間、ボストンを出て2時間以上経ちコネティカット州に入り、ニューヨークまでの道のりを半分以上過ぎたと思った頃、花盛りの花水木の並木道にさしかかった。評判どおりその見事さは桜並木に決して見劣りするものではなかった。

近頃日本でも庭の主木として、この花水木が夏椿とともに歓迎される。私が15年前に家を新築した時、妻と相談して紅色の花水木を選び、玄関を入ってすぐの所に植えてもらった。翌年から良い花をつけた。一枝くらい切らせてもらっても良いだろうと切って、庭の芝生の上で花瓶にさし、その前に座ってこの色紙の絵を描いた。4枚の美しい花弁のように見えるのが実は萼であり、初めは頂で合しており、やがて分かれて開く。

花水木は、秋になると葉が紅葉してこれがまた素晴らしい。

絵とエッセイ 藤本 吉秀

大正15年(昭和元年)生まれ。昭和の年号がそのまま年齢になった。

<職歴:内分泌外科医>
もと東京女子医大内分泌外科教授。1987~1989の2年間国際内分泌外科学会会長を務めた。
今は癌研有明病院、日本赤十字社医療センター、調布東山病院で甲状腺診療をしている。

<絵の略歴>
昭和59年、八丈島から贈られた黄色のシンピジウムがとても美しいので色紙に描いてから、季節の草花を色紙に描くのが趣味となった。平成10年、柏市で甲状腺外科検討会がひらかれた時、会場の近くの画廊で色紙の個展をした。
その後、松下黄沙(Group 82)について墨絵三昧。
2人展(平成14年)、12人展(平成16年)をはじめ、春、初夏、秋にそれぞれ各種グループ展に出展。

<運動>
ずっと以前のことになるが、学生時代、一高、東大を通してボートを漕ぎ、昭和24、25年8人で漕ぐエイトで連続全日本選手権制覇。

はじめの1年間は、「色紙に季節の草花を描く」をテーマにして出します。
次の1年間は、「墨画にのめりこんで」として、風景、植物、仏像など何でも取り上げて描きます。