2008年1月号(第54巻1号)

色紙に描く季節の草花

もともと絵を描くのが好きだった。甲状腺手術のため入院してくる患者さんがあると、丹念に喉の所見をとり、局所所見としてカルテに細かく図示した。これで触診の要領が格段に向上した。

アメリカに留学した時、色紙を10枚ほど持って行き、筆と墨で風物を描いて現地の人にあげたらとても喜ばれた。この趣味が近年目を覚まし、庭に植えた百合の球根に花が咲いたり、道端にタンポポが咲いていたりすると、日曜日を待ちかねて色紙に描いた。次第に草花を求めて行動範囲が広がった。このようにして描いた季節の草花の絵が相当たまった。その中から気に入ったものを12枚ださしてもらいます。

シクラメン

花は美しい。特に美しいと感動するからこそ絵に描くのであり、印象が強く、たいていは何時どこで描いたかまでよく覚えている。それを思い出すのは楽しく、心がなごむ。

正月というと、めでたい松竹梅あるいは千両万両などがまず念頭に浮かぶ。近年は暮れのクリスマスの頃から洋風のシクラメンが出まわり、多くの家庭で正月に玄関や居間に飾られるようになった。何年か前、京都の植物園を訪ねた時、珍しく原種のシクラメンの展示をしていた。地中海沿岸が原産地で、形も色も立派なシクラメンそのものであったが、ただ小さく可愛かった。

この絵のシクラメンは歳暮にいただいたもので、花数が多く、葉が生き生きしているので極めて上等である。

母が95歳になった頃、母の面倒を見てくれている妹の湯島の家の近くで新年会をやろうと、3人兄弟妹がそれぞれ夫婦連れで、御茶ノ水駅近くの湯島会館の畳の間に集まった。その時、この絵と他に2枚合計3枚の色紙を持って行って皆に披露した。この当時は、馬鹿丁寧に面相筆(先の細い筆)に墨をつけて輪郭をかき、そのあと岩彩で色付けをしていた。

母はとても元気で、耳が遠くなったくらいで、他に取り立てていうほどの病気はなく、常にニコニコと機嫌が良く、理想的な年寄りであった。60歳になってから習い始めた押絵が趣味となり、色紙に貼り付けて額に入れ欄間に飾るほか、本格的な大きい羽子板に江戸時代好みの若衆を作って正月の床の間に飾ったり、大きい衝立に鶴の押絵を貼って玄関に置いたりしていた。とても手間のかかるそうした押絵には太刀打ちできないが、私の色紙の絵も「それなりに綺麗に描けてよかったね」と褒めてもらった。

絵とエッセイ 藤本 吉秀

大正15年(昭和元年)生まれ。昭和の年号がそのまま年齢になった。

<職歴:内分泌外科医>
もと東京女子医大内分泌外科教授。1987~1989の2年間国際内分泌外科学会会長を務めた。
今は癌研有明病院、日本赤十字社医療センター、調布東山病院で甲状腺診療をしている。

<絵の略歴>
昭和59年、八丈島から贈られた黄色のシンピジウムがとても美しいので色紙に描いてから、季節の草花を色紙に描くのが趣味となった。平成10年、柏市で甲状腺外科検討会がひらかれた時、会場の近くの画廊で色紙の個展をした。
その後、松下黄沙(Group 82)について墨絵三昧。
2人展(平成14年)、12人展(平成16年)をはじめ、春、初夏、秋にそれぞれ各種グループ展に出展。

<運動>
ずっと以前のことになるが、学生時代、一高、東大を通してボートを漕ぎ、昭和24、25年8人で漕ぐエイトで連続全日本選手権制覇。

はじめの1年間は、「色紙に季節の草花を描く」をテーマにして出します。
次の1年間は、「墨画にのめりこんで」として、風景、植物、仏像など何でも取り上げて描きます。