2006年1月号(第52巻1号)

心に残る、山と花

登山を始めてからかれこれ40年近くになります。近年の100名山ブームで、ただ山頂を目指すだけの登り方もありますが、山は季節により様々な様相を呈し、春は新緑と残雪、夏は高山植物、秋は紅葉、冬は雪山等と、こだわり方によって同じ山に何度でも通いたくなります。初めは尾瀬に、そして八ヶ岳、北・南・中央アルプスへ、更に北海道や九州、四国へと広がっていき、気がついてみたら主だった日本の山はいくつかを残して大体登ってしまいました。しかし、撮った写真を分類してみると、北アルプスが圧倒的に多く、またこだわり方も様々で、同じ山に季節を変えて3~10回位も行ったりしています。

北アルプスの山は、目鼻立ちがはっきりしていて写真になりやすく、アプローチも比較的楽で、山小屋も多く、よく整備されているので登山者も多く訪れます。一方、南アルプスの山は懐が深いですが、縦走するのにはかなりの体力が必要ですし、山は大きいけれど写真にするのは難しい面があります。今回の表紙にと選んでみた写真はそのせいか北アルプスで撮ったものが多く、やはり槍・穂高連峰は日本を代表する山岳なのだと妙に感心をしたしだいです。写真の文章は、その時の状況や思い入れなど紀行文的になってしまいましたが、100名山的な登山ではなく各人の“こだわりの山と花”があっても良いのではないかと思っています。

厳冬の槍ヶ岳

北アルプスの盟主槍ヶ岳は、岳人憧れの山の一つで、槍の穂先のように聳えていて、どこから見てもすぐそれと分かります。アルピニズムの象徴ともいわれ、頂上部はピラミッド形の鋭い岩峰で、それを中心に北鎌尾根・西鎌尾根・東鎌尾根・槍沢と四方に鋭い岩稜が派生しています。

私は岩登りルートとなっている北鎌尾根を除く三方の尾根から登っています。季節は何れも夏で、表銀座ルートと呼ばれる、燕岳・大天井岳経由で東鎌尾根に入るコースは、私の最も好きなルートの一つです。大糸線の穂高駅からバスに乗り、終点の中房温泉で降りて、そこから合戦尾根を経て燕岳に至るのですが、途中に合戦小屋があり、夏にはスイカを売っていて、急登のあとの冷たいスイカは何よりのご馳走で、登山者の間で人気を呼んでいます。合戦尾根から主稜線に出ると、あのピラミダルな槍ヶ岳をはじめ、北アルプスの大パノラマが広がります。展望を楽しみながら登っていくうちに今日の宿泊地、燕山荘に到着。パノラマは更に広がり、山の斜面では高山植物の女王と呼ばれるコマクサも迎えてくれました。

表紙の写真はまだ現役の時、正月休みを利用して山のクラブの仲間と登ったときに撮った写真です。夏とは一転して、冬はバスもなく、行ける所までタクシーで行き、更に第1日目の宿泊地、中房温泉までは林道歩きです。翌朝いきなりの急登からはじまり、アイゼンをきかせ、必要な所はピッケルも使って登ります。夏とは違って重装備で、雪のちらつく中を冬は無人となった合戦小屋の前で小休止の後、合戦尾根に出て、あの真っ白な槍ヶ岳が見えたとき、いままでの苦しさを忘れて感動してしまいました。お正月だけは開いている燕山荘に泊まり、翌朝、小屋の周辺から雪の槍ヶ岳を撮りました。丁度、元旦で、そのあと、ストーブの上にかけてあるお湯で暖めて解凍した缶ビールで新年の乾杯をしました。

写真とエッセイ 後藤 はるみ

1938年 東京に生まれる
1963年 東京理科大学理学部卒業後、代々木病院検査室勤務を経て東京保健会・病体生理研究所、研究開発室勤務
1978年 東京四谷の現代写真研究所に第3期生として、基礎科、本科1、本科2、専攻科、研究科で7年間写真を学ぶ。
1984年 写真家・竹内敏信氏に師事、現在に至る
1999年 病体生理研究所定年退職

・日本山岳会所属 ・エーデルワイスクラブ会員
・全日本山岳写真協会 会員
・写真展「視点」に3回入選
・全日本山岳写真協会主催の写真展に毎年出品
・その他、ドイフォトプラザ等でグループ展多数