2018年10月号(第64巻10号)

〇何を急いでいるのか、路地の間を冷たく乾いた風が慌しく吹き抜けていき、衣替え前の無防備な服装に何とか守られていた体温を奪っていく。10月になり、辺りの様子もすっかり秋模様に変わった。
忘れられたような空き地にじっと立っている柿の木までも、自然の営みから外れることなく、つややかな流線型の葉をすっかり落としてしまった。採る人がいないのだろうか、硬質で思いのほか尖がった枝々には沢山の柿の実が刺さったように残されており、遠くなった青空にぽかんぽかんと橙色の惑星が浮かんでいるようにも見える。
山里では最近、所有者の高齢化などで木々の手入れができず、残された柿の実を餌として野生動物が集まり、周囲に被害を及ぼすことが問題となっている。栄養価の高い柿は、食料の乏しい時代には万能薬として重宝された歴史もあるそうだ。時代が変わったとはいえ厄介者になっているのは忍びない。そう思っていたところ、このごろは山里の安全を守るため、ボランティアによる柿もぎが行われていることを知って安心した。

髪よせて柿むき競ふ燈下かな(杉田久女)

穏やかな秋のひととき、やがて訪れる厳しい季節を前に皆で寄り集まり、豊かな自然の恵みに感謝して、心一つに過ごす時間はいつの世もあたたかで幸せである。
〇1775 年(安政4)、「金金先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)」という恋川春町画作の「黄表紙」が世に送り出された。「黄表紙」とは、当時江戸で出版された絵入りの娯楽本(大きく描かれた絵の隙間を埋めるように物語の文章が書かれるスタイル)のうち、ほかの幼稚なものとは一線を画した知識層向けの絵草子のことである。
「金金先生」とは当時、粋なお金持ちを指した言葉。物語は、一儲けしようと田舎から出てきた男が、目黒不動の名物の粟餅屋で餅を待つ間にうたた寝をし、夢の中で豪商の娘婿となって栄華をきわめるが、吉原など遊里通いをするうち手代や女にだまされて身代を傾け、勘当されて元の旅姿で追い出される。目を覚ました男は、人間の一生の歓楽など粟餅が出来上がるまでの短い夢に過ぎないと悟り、田舎に帰っていくという話である。
春町はこの作品を機に忽ち人気作家となるが、十数年後、松平家の家臣でありながら老中松平定信の「寛政の改革」を風刺した作品を書いた罪で咎められ、56歳でこの世を去ることになる。物語さながらに、売れっ子作家で栄華をきわめた夢もまた短い間のことであった。
2018年もあっという間に3か月を切り、過ごした時間の実感が湧かないまま一年を終えることになりそうだ。栄華とは無縁な毎日でも、大して良いこともないが悪いこともないことを幸いに思い、分相応の夢をみながら残りの日々を大切に過ごすことにしよう。

(大森圭子)