2017年2月号(第63巻2号)

〇立春を過ぎて、「春」という言葉をよく耳にするようになった。何事もゴールが見え始めると新たな力が湧いてくるもの。長かった冬も終わりに近づき、春の息吹が感じられる頃になると、日差しの明るさとは裏腹な厳しい冷え込みや冷たい北風にも不思議と耐えられるものである。
〇植物の根っこが広がり伸びることを「根を張る」というように、暖かくなれば植物が芽を伸ばし、葉を広げることから、この季節に「張る(春)」の名がついたともいわれる。厳しい冬を乗り越えながらも春に芽を出す準備をしている植物たち。厳しい季節にじっと耐えている時間にこそ、次のステップに繋がる成長をしているのは人も植物も同じである。樹木の芽吹きや花々の開花が喜ばしく感じられるのは、見た目の美しさ以上に、その努力をたたえる気持ちがあってこそである。
〇オーストリア・ウィーンで毎年1月1日にウィーン・フィル ニューイヤーコンサートが行われる。有能でチャーミングな若い指揮者が大抜擢されたこのコンサートの録画を見ていたら、「ナスヴァルトの娘」という、自然豊かな森のイメージが脳裏に湧き上がってくるような美しい曲の最後に、指揮者自らがバード・ホイッスル(鳥笛)を吹いて、いないはずの小鳥を目で追うようにして小鳥の囀(さえず)りを奏でていた。
この瞬間、遠い記憶が蘇り、竹製の小さな笛のことを思い出した。古いことで記憶が曖昧だが、どうしたわけか幼い私は両親と兄と親戚の車に乗っており、旅姿の助さん、格さんに似た着物姿の笛売りが「ホーホケキョ、ケキョケキョ」と鶯(うぐいす)の囀りを奏でながら笛を売り歩いているのを車の窓から眺めていた。見事な囀りに呆然とする様子に心を揺さぶられたのか、列車の窓から弁当でも買うように父が笛売りに代金を差し出すと新品の笛が車中に差入れられた。笛はつるつるした竹管で出来ていて、申し訳程度に鳥の目が糊で貼ってあったように思う。一生懸命練習したが、最後まで売り子のようには上手く吹けなかった。
鶯笛は歌舞伎や演劇などで使われる擬音具。上手く吹くことができれば幅広い音域を奏でることも可能である。
とはいえ、本物の鶯の心もとない囀りを聞いて微笑ましく、心の中で応援したことはないだろうか。実は若鳥は囀りが下手で、幼い頃に聞いた他の鶯の囀りを覚えておいて翌年の春に鳴き真似をして練習するそうである。練習中の囀りを「ぐぜり」というそうだが、成鳥もまた、季節の初めにはぐぜり鳴きから始め、次第に調子を取り戻すそうである。飼い鳥では囀りの良い鳥を若鳥の隣において、鳴き方を学ばせることもあるとか。どこの世界も先輩は後輩の良いお手本になれるよう、たゆまぬ努力と緊張が必要なようである。
 鶯の声や竹よりこぼれ出る 椎本才麿
本物の鶯の囀りも間もなく耳にすることだろう。冬があってこその春の喜びを、この世に生をうけた者同士で分かち合う季節はもう目の前である。

(大森圭子)