2011年8月号(第57巻8号)

〇このところの天気は、気温のピークを連日更新するような猛暑が続いたかと思えば、翌日からストンと気温が下がる、激しい雨が降り続くなどなかなか落ち着かない。立秋もとうに過ぎ、間もなく9月になろうというこの時期-季節の移ろいのさなかであることを思えば当然のようにも思えるが、急激な変化にただ驚くばかりで体もついていかない。平安時代の歌人・藤原敏行が「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」という和歌を詠んでいるが、おだやかさの中でささやかな変化に驚きを感じる当時に比べると現代は自然現象が顕著になっているだろうか。
〇この歌を詠んだ藤原敏行にまつわり、「宇治拾遺物語」に「敏行朝臣の事」という怪奇談がある。好色家の敏行が能筆の才を活かし、知人のために200部もの法華経の書写をしたところ、不浄な生活のまま経を書き綴った罪で、突如現れた使者に地獄へと引っ立てられる。使者の助言で、地獄門をくぐる既の所で「四巻経を書き供養する」と願いを立てたことで事沙汰が変わり、娑婆世界に戻されるのだが、とうとう四巻経を書くことなく不浄な生活を続けてしまい、死後地獄で苦しみを受けるという話である。敏行の死から十二年の後、紀友則と僧侶の夢に敏行が現れ、僧侶が代わりに四巻経を書き奉る願いを叶えてやり、ようやく敏行の罪が許されるのだが、愚かな者は罪の報いで地獄に落ち恐ろしいめにあうと示唆した、当時の人には充分怖い、暑さを忘れるほどの怪談話であったに違いない。
〇怪談話のほか、夏の風物詩のひとつに花火がある。花火は、打上げ花火と玩具花火とに分かれ、打上げ花火は「玉」と呼ばれる紙製の丸い入れ物に「星」と呼ばれる火薬の玉を詰めて作られる大型のもの、玩具花火は家庭で楽しむ様々な小さな花火である。わが国では種子島に火薬が伝来した1543年以降に花火が製造されるようになった。江戸の打上げ花火では、大飢饉やコレラの大流行による死者の慰霊と悪霊払いを祈念して、翌1733 年に8代将軍吉宗によって大川端で打上げ花火が行われている。
〇東日本大震災で被災された方への配慮から、取りやめとなった打上げ花火大会の変わりに、8月27日のある同時刻、それぞれが思い思いの場所で線香花火に火を灯し、心を一つにして、震災で亡くなられた方の鎮魂と被害からの復興を祈ろうという呼びかけが埼玉県深谷市から発信され、国内外にその和を広げていると聞いた。
線香花火はわずか0.06~0.08グラムの火薬で作られている。勢い良い火で付けると玉にならず燃え尽きてしまうので、小さな火で付けることが肝心。表面張力で玉になりゆらゆらと輝く線香花火の光。玉が落ちてしまっても、心にともったやさしい明かりはいつまでも消え落ちることはないだろう。

(大森圭子)