2010年10月号(第56巻10号)

〇ある金曜日の晩。幸運にも私は、適度な緊張感の中にも家庭的な雰囲気が感じられる伝統あるイタリアンレストランの一席に腰を落ち着けていた。我々の席の係の男性は、店と同様、嫌味なく礼儀正しい。あずかったメニューに目移りし、本日のお薦めを尋ねてみると「本日のお薦めはポルチーニ茸です」という。浅く会釈していささかの時間店の奥に引っ込んだかと思うと、微笑を湛え立派なポルチーニ茸が乗った大皿を手に引き返してきた。イタリアは日本と同じ北半球に位置し気候もよく似ているので、今がちょうど秋深まりゆく季節。美味しい茸が出回る時期もまた同じである。「松茸」であれば「籠」「ウラジロ」といった演出がお定まりのところ、「ポルチーニ茸」は「白い大皿」と紅白のコントラストが美しい「チコーリア(チコリ)」という組合せ。その姿はいかにも西洋的で、椎茸を大振りにして、傘は肉厚で奥行のあるドーム型、軸はお尻の立派なご婦人といった感じである。生のものではさほど感じなかったが、ナッツに似た香りの豊かさが特徴といわれる。
カットされた食材しか見たことのない子供が、魚や野菜の本当の形を知らずにいることに驚かされる昨今だが、目先の変わった海外の食材を前にすれば自分もまた同じ。食材の実物との初対面は楽しいものである。
〇いやしくもインターネットでざっと茸の価格をみたところ、ポルチーニ茸は1キロで約10,000円、「黒いダイヤモンド」とも呼ばれるトリュフは100グラムで約7,000円、椎茸は100グラム150円程度と様々であった。自生のものしか採れない稀少な松茸は、今年の猛暑でさらに生産量が落ちて価格が高騰し、9月の築地市場では、岩手県産の松茸が400グラム22万円で競り落とされたという。
一昔前までは、松茸は歩けば蹴飛ばすこともあるほど生えていて、今ほど珍重されることはなかったようだ。それは人々がアカマツの枝や松の葉を拾い燃料や肥料にしていたからで、図らずも松茸には好条件な、痩せて乾燥した土壌が守られていたからである。現代では人の暮らしが変わり、薪や落葉を殆ど必要としなくなったため、枝や葉が厚く積もり、肥沃な土壌に変化して生えにくくなったのである。
「取りあえず松茸飯を焚くとせん」(高浜虚子)
何かと引き換えに何かを失うのは仕方ないことかも知れないが、松茸が手ごろな食べ物であった昔を羨やましく思わずにはいられない。
〇シイタケはグルタミン酸などの旨味成分を含む美味しい茸である。しかし、同じように美味しそうに見える「ツキヨタケ」は毒キノコで、わが国の中毒の約半数はこの茸が原因といわれる。「ツキヨタケ」はその名のとおり暗いところで光ることが特徴だが、熟成すると光らないこともあるので、この指標がかえって仇になることもあるのだろう。白雪姫のこびとなど森の妖精とともに描かれ、赤い傘に白い水玉が愛らしいベニテングダケもヨーロッパでは縁起が良いとされるが、やはり毒キノコである。
茸狩りは秋の行楽を代表するものであるが、毒キノコにはくれぐれもご用心。

(大森圭子)