2010年10月号(第56巻10号)

谷間から這い上がる

富山市医師会健康管理センター 高柳 尹立

私が病理・臨床検査の道を歩き出し、気がついてみたらもう81歳。まずまずの健康に恵まれて今も顕微鏡相手の仕事に追われていることを感謝しなければならない。金大研究室での実験病理に何か満たされないものを感じ、恩師石川教授に倉敷中央病院を紹介していただいたのが昭和35年。当時は全国的に中央検査制が普及しつつあった臨床検査の新興期、以来50年、臨床病理学発展の歴史に育てられて来たことを幸せに思っている。
昭和43年から郷里の富山市民病院に移ったが、北陸地方の臨床検査の体制や内容がかなり遅れていることに気づいた。日本臨床病理学会が全国を7支部に分けて学会・研修会活動を進めていたのに北陸3県がそれら支部組織に所属することなく取り残されたまま。地理的に日本のど真ん中に位置しながら3県だけが谷間に埋没している状況には愕然とさせられた。
金大の松原教授、金医大の寺畑教授を中心に協議を重ね、新しく北陸支部として独立するよりも既に活動している東海支部に合流する道を選ぶことになった。当時の東海支部長はじめ諸先生が同意して温かく迎えて下さり、静岡、愛知、岐阜、三重の4県に加えて福井、石川、富山と計7県で組織する日本臨床病理学会東海・北陸支部の誕生に漕ぎ着けた。そして昭和48年3月、金沢大学において第12回東海・北陸支部総会が開催されて名実ともに現在の支部活動のスタートを切った。以後、3月の支部総会、8~9月の支部例会が東海地区と北陸地区のバランスのとれた持ち回りによって毎年開催されている。
昭和56年3月1日に私が世話人を仰せつかり第20回支部総会が富山市公会堂において開かれた。歴史に残る56豪雪の年に当たり、学会2日前の北陸線運休やシンポジウム中の停電など、大いに気を揉んだが、東海からの方々にはかえって雪に埋もれた富山市街を喜んで貰えたことなど、思い出は尽きない。