2010年6月号(第56巻6号)

〇6月は梅雨の季節である。分け隔てなく振りそそぐ雨の恵み。控えめな雨量で静かに降り続く梅雨独特の雨には風情があり、つややかに洗われた木々の葉や、うっすらとベールに包まれたような和らいだ景色も美しい。鼠色に藍を滲ませたような薄明かりの空の色は幻想的で海を思わせるし、パツン、パツンとどこかに当って跳ねる雨音を聞くのも味わい深い。しかしそれも、傘を差しての外出さえなければの話である。沖縄では梅雨明けが間もないという話を聞いたが、東京は梅雨に入ったばかり。梅雨の晴れ間に一息付きながら、案外長丁場なこの季節をやり過ごすのが毎年の常である。
〇江戸時代の商人が考案した立ち居振る舞いや教えを「江戸しぐさ(思草)」と呼ぶそうである。商人が知恵を絞って考えた道徳的な処世術のようなものらしく、文書ではなく口伝で商家のなかでひっそりと受け継がれてきたそうだ。これが最近、世態を良くするのに役立つというので、普及活動も行われているという。「江戸しぐさ」には過剰とも思われる部分もあるが、心に留めておくと自ずと人に対する気遣いの心が生まれてくるように思う。たとえば「七三の道」は(当然髪の分け目の話ではないが)、道を歩くときは自分の分として3を使い、他人のために7を空けるというもの。「三脱の道」は、初めて会った人に「年齢」「仕事」「身分」を聞いてはいけないというもの。また、この季節にぜひ取り入れたいものに「傘かしげ」がある。人と人とが傘を差してすれ違うときに、互いに逆方向に傘をかしげ、傘がぶつからないように避け合う仕草である。傘に纏わる行為には、持ち運ぶ、差す、綴じる、畳むなどいろいろな動作が伴う。最近は公徳心に欠けているのか気付かないせいなのか、行儀の悪い振る舞いが目に余る。満員電車で濡れた傘をぶら下げてあちこちに水滴を撒き散らす、階段で傘を水平に持ち運び、尖った先を銃口のように人の顔に向けているのに気付かない人も居る。傘ひとつとっても、どのように扱うかでその人のマナーが問われるというもの。本来、マナーを守ることに難しい決まりはなく、基本に人を思いやる気持ちさえあれば容易くこなせるはずなのだが。

(大森圭子)