2010年4月号(第56巻4号)

〇二十四節気の季節区分では、旧暦の3月7日頃、新暦の4月20日頃から立夏までの春の終りの季節を「穀雨」という名称で呼ぶ。「穀雨」とは、温かく柔らかな雨が降り続き百穀を潤す頃という意味である。天明七年(1787)に出版された、常陸宍戸藩藩主・松平頼救〈まつだいらよりすけ〉(後に太玄斎と号す)が残した暦の手引書には、「春雨降りて百穀を生化すれば也」の言葉で注釈が加えられている。田畑の仕込みが完了し、成長の第一歩を手助けするように優しく恵みの雨が降り注ぐ季節。ところが、今年は平年よりも気温が低く、農家では大切な時期のこの仕打ちに大打撃を受けている。気象庁の気象情報でも、霜による農作物の被害に注意するよう呼びかけており、昨晩見たニュースでは、ビニールハウスの中の新芽が凍らぬよう、一晩中大きな蝋燭を焚いて寝ずの番をしていると話していた。往生際の悪い冬将軍には一日も早く退散してもらい、春の女神に席を譲って欲しいものである。
〇俳句において冬の季語となっている「納豆汁」だが、こう寒い日が続いたのでふと作ってみたくなった。「納豆汁」は、叩き刻んだ引き割状か摺り潰した納豆を具にした味噌汁で、これに豆腐や油揚げ、青菜などを加える。江戸時代には日本全国で頻繁に食べられる料理であったが、今では山形、秋田、岩手の郷土料理といわれている。そもそも江戸時代では、「納豆ご飯」よりもむしろ「納豆汁」のほうが一般的であり、特徴ある売り声で商品を売り歩く「棒手振〈ぼてふり〉(商品を天秤棒にぶら下げた物売り)」の納豆売りは、「なっと~、なっとなっと~、なっと~」と売り声を上げながら、この頃すでに「引き割納豆」「豆腐」「青菜」をひとまとめにした、今でいうインスタント汁を売り歩いていたそうである。
私が実際に記憶している物売りには、豆腐、ラーメン、焼き芋、おでん、金魚、風鈴、竿竹などがあり、そのほか物売りの全盛時代には、冷や水、甘酒、蕎麦、飴、蜆などが売られていたことを知っていた。しかしこの他にも天ぷら、鮨、鰻、串なまこ、イナゴの蒲焼、蚊帳などさらに様々な種類が売られていたことを知り驚かされた。一方、瀬戸物の直し、下駄の歯入れ、提灯貼り、鋳掛屋などの修理屋、古紙、頭髪、古傘、糞尿、桶などの買取屋が同じく町を巡り商売をしていたことを知った。この時代の物売りは、安定した商売を営む資本も無く生活に窮する弱者を助けるための政策の一環であったというし、リサイクル精神でもわが国は世界的に高い水準にあったそうである。古き時代は学ぶことの宝庫であることをまた一つ思い知らされた。

(大森圭子)