2021年5月号(第67巻5号)

〇旧暦での5 月は 「さつき」 という。「皐月」 のほか「五月」「 早月」 などの文字も当てられている。他にも「吹雪月」 という、季節外れな異名もあるが、この時期に咲く白い花を吹雪に見立ててという理由のようで、風流な先人も居たものだと感心する。「皐」 の文字は、沢や沼などの意味を持っているが、実は、骨になった動物を表した象形文字で、四つ足の動物が手足を伸ばした姿であり、上に付いている「 白」 はもともと頭がい骨を模した文字である。これを知るとぞっとするが、ここから白く輝くという意味も派生していて、今月号の表紙を飾る北川先生のお写真の風景のように、水面を白く輝かせた爽やかな沢の景色を思い浮かべれば、美しい季節の到来に心が躍るような気分である。
 明治維新後、開けた国として欧米諸国との外交に支障を来さないよう、天保暦と呼ばれる旧暦 (太陰太陽暦) から欧米諸国と同じ新暦( 太陽暦) への切り替えが行われ、旧暦の明治5 年12 月3 日は新暦の明治6 年1 月1 日とされた。ここから150 年近く経った今も、味わい深い旧暦の月の呼び名が使われ続けていること、旧暦に合わせて年中行事や祭りなどが行われていることなど、日本古来のものの持ち味とそれを同じに感じ取ることができる感性が、月日を重ねても、大切に受け継がれているのはとても喜ばしい。
〇5 月3 日は初代 「リカちゃん (人形)」 の誕生日だそうである。私が子供の頃には、電話をかけると録音されたリカちゃんの声が流れ、リカちゃんが近況報告をしてくれる「 リカちゃん電話」 に胸を高鳴らせていたものだが、今のリカちゃんの趣味は 「SNS 更新」 だそうで、余すところなく時代が変わっていることに驚かされる。リカちゃんは、誕生から半世紀以上の年月を経て、スタイルや髪形を変えながら4 代目となっているそうだが、古く人形といえば土偶や埴輪であろうか。多産や豊穣を祈るための土偶、死者の魂を鎮め、死者を守るとされた埴輪など、信仰上の人の身代わり的な存在であったものから、平安時代には、貴族階級の間で雛人形の由来とされるひいな遊びの記録が見られるように、玩具としての意味を持つようになった。
 雛人形は高価であったため貴族しか持つことができず、庶民は、端午の節句になると雛人形よりも安価な幟( のぼり) や武者人形を買い求め、子供の健やかな成長を祈ったそうである。江戸時代、節句の時期になると、日本橋室町の通りには節句人形を売る市が立ち、向かい合わせて10 軒の仮設店が立ち並ぶことから十軒店( じゅっけんだな) と呼ばれていた。
 当時の様子を示した「 十軒店 幟 武者人形市」 という風俗画では、市は大変な賑わい。背の高い幟はかろうじて描かれているものの、通りを行き交う大人やたむろする子供たちでごった返し、武者人形は隠れてどこにも見えない。また同じく端午の節句頃の風俗画「 五月 端午前 往来の風俗」 には、降りしきる雨の中、蓑や傘で雨を避けながら、縁起物とされる竹の子や菖蒲を売り歩く行商人の姿、丁稚だろうか、一つの傘の中に前掛けをした幼そうな二人が、布を垂らした三宝に乗った柏餅を大事そうに抱え、今にも食べそうにじっと見つめながら歩く姿が描かれていている。当時の人にとって、節句の行事はどんなに楽しいものであったのか。今よりもずっと不便で楽しみの少ない暮らしの中で、それぞれが分相応な楽しみ方を見つけ、数えるほどの行事を心待ちにし、喜びや幸せを感じていた先人達の姿にまた学ばせてもらった。

(大森圭子)