2021年5月号(第67巻5号)

初めての原稿料
~メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲について~

自治医科大学名誉教授
河合 忠

 小学校時代から作文が苦手の方であったので、戦時中に日記を担任教師に強制的に提出させられたのを除くと、中学・高等学校在学中に自分の自由意志で投稿したのは僅か2 編のみであったように想う。医学科を卒業後間もなく米国に留学し、初めての医学論文を執筆したのは1962年であった。それ以来、必要に迫られて、随分多くの医学会誌、商業医学雑誌、団体PR 誌、などに医学関連論文を執筆してきた。唯一の例外は、本誌に連載した雑文をまとめた「琥珀色の軌跡~ウイスキーラベルの文化史」(2007 年発行、絶版)である。2020 年2 月からコロナ禍で家に引篭もりが続いて、久しぶりに旧制高校時代に投稿した原稿について想い出された。
 今回、ご紹介するエピソードは1948 年(昭和23 年)、旧制北海道大学予科理類(現教育制度で、高等学校2 学年に相当)の最後の学級に在学中のことである。当時は連合軍による占領下の時代で、公共放送といえばラジオ放送のみであったが、NHK 札幌放送局のローカル番組で、-確かな番組名称は想い出せないが-、今でいう視聴者参加によるクイズ番組があった。放送受信者から設問を募集し、応募者から抽選で選ばれた数十名が放送局に招かれて、番組に参加する形式であった。その番組に投稿したところ、幸運にも採用通知が舞い込み、意気揚々として番組録音会に参加した。しかし、筆者の設問は本番の直前に行われたリハーサルで使用されたが、残念ながらラジオを通じて放送されずに終わった。それでも、少額の原稿料を頂き、家族内で話題になったことで、少々晴れがましい気分を味わった記憶が残っている。
 その時のクイズの要点は、「三大ヴァイオリン協奏曲のひとつに数えられる有名なメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64 は、彼の生涯で唯一のヴァイオリン協奏曲である: 正しいか、間違っているか?」という内容で、当時での正解は「正しい」ということであった。今では、クラシック音楽に興味をもたれている諸氏にとっては、“ 彼はもう一つのヴァイオリン協奏曲を書いているので正解は「間違っている」”と言われるでしょう。
 フェリックス・F.メンデルスゾーン(Jacob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy)は、1809 年に現在のドイツ国に属するハンブルグで生まれ、少年の頃より神童といわれるほどのピアニスト、作曲家として幅広い活躍をしたが、37 歳の若さで1847 年ライプツィヒで亡くなった。多くの楽曲を発表したが、その中でも1844 年に作曲したヴァイオリン協奏曲ホ短調は、冒頭からヴァイオリン独奏による華麗なメロディーで始まる名曲であり、今日までしばしば世界中で演奏されている。しかし、有名な名ヴァイオリニストのユーディ・メニューインによって1951 年に発見された、もう一つのヴァイオリン協奏曲「ヴァイオリンと弦楽のための協奏曲二短調WMVO3(註1)」があった。1822 年、当時13 歳での作品であったが、日の目を見ることなく彼の未亡人や友人などにより相続、収蔵されていた楽譜の中から発見され、ようやく1952 年にメニューインによって初演され、その後その曲の楽譜も公に出版されているというわけである。奇しくも、筆者が医学科に進学するまでの僅か3 年間でのことで、今振り返って薄氷を踏む思いを抱いたことであった。その後、多数の原稿を書き続けた過去の自身を振り返る時間が多くなったコロナ禍の続く今、日進月歩の医学研究の成果が続出する中で過去に発刊した自身の医学論文・著書の中には類似の運命を辿った事実があったのではないかと考え、謙虚に反省しきりの今日である。

註1:WMVはメンデルスゾーンの没後に出版された作品主題項目番号一覧の略称で、 O3 は協奏曲群の3 番