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2023年9月号(第69巻9号)
過去を省みる事が嫌いな私も92才になり昔を思出す事が多くなった。昭和23年東大医学部をクラス最年少で卒業。インタン後、伝研に入り結核の免疫の研究をし、形質細胞が抗体をつくる事を発見した。私の論文を読まれたHarvard Medical School のCoonsの招きで留学し、蛍光抗体法で抗体産生の研究を2年間行い帰国した。29 才で応微研助教授となり、抗生物質の研究を始めた。初めは結核、後に癌を目標とした。38才で教授になったが、間もなく医学部病院から起った東大紛争が激化した。応微研では医学部出身者は唯一人だった私に非難が集中し、居づらくなり、米国National Science Foundation のグラントをえてWaksman Institute of Microbiology にVisiting Professor として1 年間勤め帰国した所、間もなく応微研紛争が始り、研究室に入れない状況が数年間続いた。応微研紛争を解決すれば東大紛争は終る状況になり、文部省は応微研を東大から切り離し、岡崎に移す事を考えたが、東大総長は学問の自由と大学の自治を守るために、自主解決の道を選び、49才の私が応微研教授総会で全員一致で所長に選ばれた。期待に答えて、一挙に紛争を解決した。前述のように、40才以降は紛争に明け暮れして、研究ができなくなり、大きな悔いを残す事となった。ただ、抗生物質の作用メカニズムの研究によって分子生物学の勉強ができたこと、助教授の中村昭四郎君との共著の「抗生物質大要」が7万部以上発行されたこと、私の研究室から東大教授3名、東工大教授2名、慶応大(薬)1 名、帝京大(医)2 名、浜松医大1 名、金沢大(癌研)1 名、広島大(薬)1 名、東邦大(薬)1名の大学教授12名を出したことがせめての慰めとなっている。