2021年6月号(第67巻6号)

女性の機会均等は
将来日本に訪れるのだろうか

ベイラー医科大学 臨床病理学教授(終身)
小児科内科兼任教授(終身)
照屋 純

 「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」という東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗・元会長の発言を日本からのニュースで聞いて、やはり日本の女性の地位はその程度にしか見られていないのかと思った。彼は半分冗談で言ったのであろう。しかし彼のような地位にいる人が、公の場で言うべき事では無い。会議に時間がかかる、だから女性の委員をとらない、という含みがあり、それは明らかに女性差別である。女性であるというだけで扱いが違うからである。私の所属するテキサス小児病院の小児科の主任教授として、今回初めて女性が選ばれた。この人物が優秀であるから選ばれたのであり、それが結果的に女性であったというだけである。1990 年まで女性の団員が殆どいなかったベルリンフィルハーモニー管弦楽団には、今は女性団員が数多くいる。それまでは、1982 年に第一バイオリンに女性が一人入団しただけであった。女性なしで高い演奏レベルを維持することが不可能であると共に、ようやく、女性も男性と同様な機会が与えられるべきであるということを、皆が認識するようになったからではないだろうか。現在は団員の一次選考はカーテンの後ろで行われ、靴音で女性であることがわからないように、オーディションにハイヒールをはくのをやめさせているという話を聞いた。
 父親が運転中に交通事故に巻き込まれて、父親は即死、同乗していた息子は病院に救急搬送された。その病院の外傷外科の主任教授がその子を見るなり、これは自分の息子だから自分には手術できないと言った。その外科医と救急搬送された子供とは一体どういう関係なのであろうか。現場で即死した父親はその子の義父あるいは継父だったのであろうか。
実は外傷外科の主任教授はその子の母親だったのである。おそらく多くの人は、外科医、しかも主任教授は男性であろうという先入観、ステレオタイプをもっている。ちなみに私の病院の外傷外科の部長は女性である。
 さて私自身はどうであろうか。女性だからといって、採用時あるいは職場での扱いを変えるようなことをした記憶は無い。しかし、本当に私の中にunconscious bias(無意識下の偏見)は無いのだろうか。最近、私の病院でbiasのトレーニングを受ける機会があった。そのテストでは、幸いに私は性差別に関してはunconscious  biasは無いという結果が出た。
 女性と男性は色々な点で違いがあるのは事実である。「女性らしさ」を求めること自体は決して性差別ではない。ただ男性が「女性らしさ」を自らの基準で求めることに誤解が生ずるのである。人によって異なる「女性らしさ」の基準があったとしても、女性と男性には同様な機会が与えられるべきである。