2018年8月号(第64巻8号)

〇生命力がみなぎる夏- 街に彩を添えてくれている木々たちは、思い思いに枝を伸ばし、精一杯葉を広げて、思う存分太陽の光を浴びて幸せそうである。これに便乗しようと“つる植物たち”も、伸ばされた枝葉を伝って高くまで登り、日当たりの良いところに身を落ち着けて、木々たちと夏の幸せなひとときを分かち合っている。
聳え立つビル群の傍らで大きく成長した木々たちは、寄り集まるとにわかに森のようにもなり、その向こうに透かして見えるビルと主と従の関係が逆転したような錯覚を覚えるほどである。
〇夏も終盤とはいえ、まだまだ残暑の厳しい頃である。四季のあるわが国は、それぞれの季節を楽しく過ごせるような工夫に溢れており、夏であれば、暑さを一時忘れるために、さまざまな趣向が凝らされてきた。例えば、風鈴の涼やかな音色や、金魚鉢のなかでゆらぐ水草や優雅に泳ぐ金魚に涼を求めたり、花火の美しさに心惹かれたり・・・。室内の温度を自由自在に操れる時代にも、大切にしたい先人の知恵である。
以前より聞くことが少なくなったが「怪談話」もそのひとつであろう。
日本の三大怪談話は、「四谷怪談」「皿屋敷」「牡丹灯篭」だそうである。前者二つは、この世に深い怨念を残して死んだ女性の幽霊が登場し、恨みをもつ相手を懲らしめる物語。一方「牡丹灯篭」は、萩原新三郎という浪人が、亡霊とは知らず、旗本の娘・お露と恋に落ちる悲恋の物語である。日ごとにやつれていく新三郎と亡霊の縁を断つべく、寺の和尚がお札で退治を図るのだが、新三郎は恋の力には勝てず、堪えきれずお露の亡霊のもとへ・・・というお話である。
「皿屋敷」の話は、家宝の皿を無くした罪を着せられ、殺されたお菊の幽霊が、夜な夜な井戸から現れて皿を数えるという「番町皿屋敷」が有名だが、出雲国松江や土佐国幡多郡など、各地に類話があるそうである。
「番町皿屋敷」の話では、言い伝えにそって、お菊の墓とされるせんだんの木の根元を掘ったところ、座ったままの女性の遺骸が現れたとか。
だんだんと背筋が寒くなりましたので、ではこの辺で。

(大森圭子)