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2017年8月号(第63巻8号)

旅先、街角のスナップ(8)

合掌造りの里

機材:LEICA M9-P
レンズ:Summilux-M 50mm/f1.4

富山県南砺市、五箇山地方相倉(あいのくら)集落。1995年12月、ユネスコの世界遺産に文化遺産として登録された合掌造りの集落で、23棟が現存しています(同じ五箇山地域の菅沼集落には9棟)。

合掌造りとは、木材を梁の上部に手のひらを合わせて合掌したように山形に組み合わせて建築された、急勾配(45〜60度)な茅葺きの屋根を特徴とする住居のことで、屋根の勾配は雪が降っても自重で落ちるように工夫がされています。五箇山地方の雪は湿気が多く重いため、同じく世界遺産に登録されている白川郷の合掌造りの屋根の勾配より急になっているそうです。また豪雪対策だけでなく、2階以上に柱を立てずに広大なスペースを確保することのできる叉首(さす)構造(2本の丸太を屋根の頂部で交差させる構造)を利用して、屋内で養蚕や塩硝(火薬の原料)などの家内制手工業が盛んに行われていたということです。1930年代にこの地を訪れたドイツの建築家ブルーノ・タウトは「これらの家屋は、その構造が合理的であり論理的であるという点においては、日本全国を通じて全く独自の存在である」と絶賛しました。

相倉集落では、現存する合掌造りの建物の約半分に今も人が住居しており、そのうちにいくつかに宿泊することができます。白川郷に比べてほぼ観光地化されていないことと、日没から翌朝まで観光客の立ち入りを制限しているためとっても静かです。集落の歴史や日常、雰囲気を味わいたいなら相倉集落に泊まってみることをお勧めします。

写真とエッセイ 水地 大輔

<所属>
東京逓信病院 血液内科医長 医学博士

<略歴>
1994年 群馬大学医学部卒業、
      東京医科歯科大学第一内科入局
2004年 東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科修了
2005年 東京医科歯科大学血液内科助手
      同年10月より現職

<主な展示>
・個展
「ordinary days」神楽坂 キイトス茶房(2008年)
・主なグループ展
「水」渋谷 ギャラリールデコ(2014年)
「旅ライカ」渋谷 ギャラリールデコ(2015年)他

ジェネリック医薬品普及の裏側で

岩手医科大学医学部臨床検査医学講座教授
諏訪部 章

最近、ジェネリック医薬品を販売している企業のテレビコマーシャルがよく目に留まる。

2014年の診療報酬改定で、医薬品全体に占める後発医薬品の割合である後発医薬品指数(係数)が導入され、改定の度にその係数は評価上限が引き上げられ、最近では70%に達している。この係数をクリアすると診療報酬が加算されるため、DPC対象病院でのジェネリック医薬品の導入は年々加速している。国や患者にとっては医療費の節減、病院にとっては購入費用の抑制と収益の向上と良いこと尽くしの感がある。一方、ジェネリック医薬品の一部には、薬効はオリジナル医薬品と同等としても、薬物そのものの純度の違いや製造過程での不純物の混入の可能性など、さまざまな問題点が指摘されているという情報もある。

当然のことながら、これまでオリジナル医薬品を販売していた製薬企業にとっての打撃は想像に難くない。その煽りを受け、これまで製薬企業が主催していたさまざまな講演会や研究会などが激減していることはまだあまり問題になっていない。特に、比較的高価であった抗菌薬を販売してきたメーカーほどこの傾向は顕著である。製薬企業の利益は、産学連携を通じて次世代の新しい医薬品の研究開発に投資することばかりではなく、講演会や研究会などのさまざまな機会を通して医師や薬剤師などに重要な医薬品情報を提供し、国民の安全を守り、医療の発展に寄与することにも還元されるべきと考える。

しかし、このままジェネリック医薬品が普及し、オリジナル医薬品を研究開発してきた製薬企業が衰退すると、産学連携体制も衰退し、新しい医薬品の開発も衰退し、ひいては医療の進歩そのものが衰退するのではないかと懸念する。また、製薬企業からの薬剤に関する情報提供の機会が失われることは、適切な薬剤の使用の妨げにもなり、医療安全の面でも不安を感じてしまう。

ジェネリック医薬品を販売する企業も稼いだ利益をどのように社会に還元してゆくかを真剣に考えてほしいと願ってやまない。

○夏も間もなく終わりというところで、振り返ってみると思い出すのは最近の雨ばかり。お休みに行った先では大雨に封じ込められ、TVの前で大雨や洪水、土砂災害などの警報に常に注意を傾けなければならなかった。夏らしくない夏が過ぎ、気づけば秋の気配もちらほら。よく眠れぬまま迎えてしまった朝のように、いつもとは違う時を過ごしたあとに急に次の季節が訪れても、気持ちの切り替えは難しいものである。

○古くから夏に重宝する道具として、風鈴、蚊帳、うちわ、蚊取り線香などが思い浮かぶ。蚊取り線香といえば緑色をした渦巻き型がお馴染みであるが、初め粉末や棒状であったものが、安全性や長時間燃焼させることを考慮してたどりついたのが渦巻き型だそうである。

蚊取り線香の原料となるのはその名前にもなっている除虫菊である。ほかにシロバナムシヨケギクの名前もあり、キク科の植物で、中央にある黄色い花の円を囲んで小さな白い花びらが並んでいる。広島県尾道市の因島の市花でもあり、以前は、除虫菊の見頃になる5月には島の山野いっぱいにこの花が咲き、その景色から「ロマンの島」とも言われたそうである。

殺虫成分であるピレトリンはこの花の子房(雌しべの下の膨らんだ部分)の部分に多く含まれ、植物の地上部分を乾燥させたものを燻すことで殺虫成分が効果を発揮する。今はピレトリンに似た化合物であるピレスロイドが主流になっているそうで、渦巻き型の蚊取り線香を日本に広めた有名メーカーでも産業としての除虫菊の栽培は行っていないそうである。

○「婆やが除虫菊の茎を刻んだ蚊いぶしを風上の縁先に置いてくれた。煙が鼻の先を流れて行った後で、時時微(かす)かにぱちぱちと鳴る音がした。自分には見えないけれど、小さな火花が散っているのが見える様な気がした。」(内田百閨u東京日記」岩波文庫)

平安時代から大正時代までの間、日本では「蚊いぶし」「蚊遣り」「蚊くすべ」などといって、かやの木などの木片を火鉢でたいたり、蓬(よもぎ)や杉の葉を燻した煙で蚊を追い払っていたそうだ。除虫菊は内田百閧フ生まれた明治22年より4年前に米国から渡来しているので、この頃にはすっかり「蚊いぶし」の材料に除虫菊が使われるようになっていたのだろう。

内田百閧ェ、除虫菊をたいたぱちぱちと鳴る音に見えない火花が見えたといえば、静かな夏の宵闇にたなびく煙やその匂い、ぱちぱちという音、小さな火花が散る様子が自ずと思い浮かぶ。いまの時代は、よほど自分の生活に侵入するものに敏感になっているのか、極力音がしないもの、においがしないもの、煙が出ないもの、甘くない、辛くない…などなど、何かというと気配を消すものが好まれているが、「蚊いぶし」に取って代わり「電気蚊取り」であったなら、なんと味気ないことか。蚊取り線香の煙や香りが忘れていた懐かしい夏の思い出を連れてきてくれることもあり、生活の中にちょっとくらい煩わしいものがあるというのもなかなか良いものである。

(大森圭子)

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