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2015年11月号(第61巻11号)


写真提供: 株式会社アイカム

肺炎原因菌シリーズ 11月号
アスペルギルス・フミガツス
Aspergillus fumigatus
「マウス感染モデルにおける細気管支内から肺実質への菌糸の侵入を示す走査型電子顕微鏡写真」

 この辺りで真菌を登場させることにしたい。真菌による最も代表的な肺炎は急性アスペルギルス肺炎であるが、一般には侵襲性肺アスペルギルス症(invasive_pulmonary aspergillosis ; IPA)の病名でよばれる。主な原因菌種としては、Aspergillus fumigatusを筆頭に、A.flavus, A.niger, A.terreusなどがある。
 IPAが欧米の論文・成書に記載されるようになったのは、1960年代に入ってからである。これは抗生物質、ステロイド薬、抗がん化学療法薬などが広く使用されるようになった時期、言い換えれば免疫抑制患者に日和見感染が増え出した時期、と重なる。IPAの発症頻度はとくに急性白血病患者の間で高く、IPAによる死亡者数は真菌感染症のなかでは侵襲性カンジダ症に次いで多かった。さらにその後、骨髄(造血幹細胞)移植や臓器移植の普及に伴って、IPAの発生率はますます上昇するようになった。
 欧米諸国において白血病患者のIPAの問題が顕在化する以前に、実はわが国でIPA発症例がすでに確認されていたのである。その背景には日本国中を震撼させた悲劇的な大事件があった。1954年3月1日、遠洋マグロ漁船第五福龍丸が北太平洋マーシャル群島ビキニ環礁で行われた水爆実験に遭遇し、被災した乗組員23名のなかで最も重い放射能障害を受けた久保山愛吉氏が同年9月23日に死亡した。遺体の病理解剖にたずさわった奥平雅彦博士(後に北里大教授)は、急性肺炎像を呈する病巣中に多数の真菌要素(菌糸)を認めるとともに、病巣組織からA.fumigatusを分離培養した。国内では無論のこと、世界的にみてもおそらくIPAが正確に記載された最初の症例だと考えられる。
 近年、欧米諸国と同様、わが国でも先進医療の普及とともにIPA発症患者は増加の一途を辿っている。上述の奥平博士に師事した久米光博士(現日医大客員教授)らが毎年または数年間隔で行ってきた日本病理剖検輯報記載データの集計解析によれば、検出された真菌感染症全体のなかでIPAを主とすると考えられるアスペルギルス症が占める割合は、1990年代中頃からはカンジダ症を追越して第1位となり、その後も年々上昇し続け、今や予防・治療対策が最も重要な真菌感染症にあげられている。
 この深刻な状況の改善・克服に欠かせないIPA発症機序の解明、ならびに有用な検査医学的診断法や抗真菌薬の新規開発・評価には、適切な動物モデルの使用が欠かせない。一般に感染症の発症機序の研究には、ヒトにおける自然感染に近似した発症・進展の過程を示す動物モデルが必要となるが、実際にそうした条件を満たす動物モデルを作るのは難しい場合が少なくない。IPAに関してもそうであり、マウスやラットといった小動物では気管支構造の比較解剖学的特徴の違いから、アスペルギルス分生子の懸濁液を気管支内に注入しても分生子を細気管支奥深くまで送り込む(したがって肺炎を成立させる)ことはほとんど不可能である。その解決策としてアスペルギルス分生子を封じ込めた寒天ビーズを使って分生子を細気管支先端まで到達させる方法が考案された。この手法を用いて、予め免疫抑制剤(シクロホスファミド+プレドニゾロン)で前処置したマウスにA.fumigatus分生子を経気道感染させた。写真は、感染3日目に撮影した感染肺組織の走査型電子顕微鏡像である。本菌は細気管支内で旺盛な菌糸(緑色に着色)発育を示し、その一部は細気管支壁を貫通して肺実質内に侵入している。

写真と解説 山口 英世

1934年3月3日生れ

<所属>
帝京大学名誉教授
帝京大学医真菌研究センター客員教授

<専門>
医真菌学全般とくに新しい抗真菌薬および真菌症診断法の研究・開発

<経歴>
1958年 東京大学医学部医学科卒業
1966年 東京大学医学部講師(細菌学教室)
1966年〜68年 米国ペンシルベニア大学医学部生化学教室へ出張
1967年 東京大学医学部助教授(細菌学教室)
1982年 帝京大学医学部教授(植物学微生物学教室)/医真菌研究センター長
1987年 東京大学教授(応用微生物研究所生物活性研究部)
1989年 帝京大学医学部教授(細菌学講座)/医真菌研究センター長
1997年 帝京大学医真菌研究センター専任教授・所長
2004年 現職

<栄研化学からの刊行書>
・猪狩 淳、浦野 隆、山口英世編「栄研学術叢書第14集感染症診断のための臨床検査ガイドブック](1992年)
・山口英世、内田勝久著「栄研学術叢書第15集真菌症診断のための検査ガイド」(1994年)
・ダビース H.ラローン著、山口英世日本語版監修「原書第5版 医真菌-同定の手引き-」(2013年)

インフルエンザ菌(Hi)感染症とともに50年
-Hibワクチン導入に向けて-

千葉大学 名誉教授
埼玉医科大学 小児科
上原 すゞ子

 2007年1月26日、恩師Dr.Robbins(NIH)らの発案したインフルエンザ菌b型(Hib)ワクチン(PRP-T)わが国への導入の報が入り、私の謝辞に対して彼から祝辞が寄せられたので、祝賀会での報告に、1987年私が彼の許に在外研究員として滞在中のDrs Robbins,Pittman, Schneersonと私を含む一葉の写真を上映して頂きました。
 想えば私とインフルエンザ菌(Hi)との出逢いは1964年8月、小酒井教授の許で細菌検査法を学び千葉大学小児科で洗浄喀痰培養に応用してHiの純培養状の集落に魅せられて、原因菌診断基準に着手したのでした。1968年国際小児科学会でのHi感染症講演への途上、第一人者Dr.Sellの薫陶を仰ぎました。1972年文部省の依頼で大学検査技師にHi検出法供覧を行いました。
 千葉大小児科での気管支・肺感染症原因菌検査成績(1965−79-84)でHi、肺炎球菌は1,2位、千葉市立海浜病院で黒崎ら、武田らの検査(1990−2006)でも同じ傾向でした。小児髄膜炎でもHiは第1位、Hibが97%、洗浄喀痰由来Hi原因菌の5-7%がHibでした。私はHi全身(侵襲性)感染症の全国調査(1979−88)、千葉県小児入院全施設調査(1985−94)で罹患率の推移を報告してきました。1992年CDCでHi研究班主任Dr.Wengerは、わが国でHibワクチン未導入を知るや「信じられない」と大激論になりました。1993年私は先ず学会にDr.Robbinsの招請講演を願い出ましたが、時期尚早と受け容れられず、あの無念さは筆舌に尽くせません。当時欧米ではHibワクチンで髄膜炎は激減しつつあったのですが。私はHibにまつわる啓発に努め、小児科学会東京都地方会出題が特別講演に採択された「欧米におけるHi感染症の激減とHibワクチン」は日児誌100巻(1996)の説苑に掲載されHibワクチンが題名にある最初の論文になりました。最大の全国調査は1995年Hi髄膜炎疫学調査研究会(神谷代表)で実施した小児入院全施設の細菌性髄膜炎調査で私が企画執筆を託されました。その後現在まで石和田らに引き継がれ、公費助成を経て定期接種になった2013年にHib髄膜炎など侵襲性感染症は0に近づきました。
 Hibワクチン接種の遅れた20余年、私はHib髄膜炎診断・予後の重大性、Hibワクチンの有効性・安全性、集団免疫に向けて高い接種率維持、そのためにHib侵襲感染症の全例報告、Hibかnon-Hibか、検体・菌株保存、血清型確認を叫んできました。
 2014年9月21日、SANOFI・第一三共・ジャパンワクチン共催の「Hibワクチン5年間の軌跡」で「はじめに−Hibワクチン導入の経緯」を指名された私は万感胸に迫り感泣しました。千葉大学退官後19年、開かれた討議の場が望まれます。

○北国からは雪の便りも届き、東京でも厚手のコートを羽織っている人が珍しくなくなっている。
 気づけば今年もあとひと月あまり。過ぎた日を振り返り、満足できる人は幸せであるが、何かやり残していたことがある人は慌てて軌道修正を試みたり、やる気のつまみを最大にあわせるような時期でもあると思う。
○「もし自分が間違っていたと素直に認める勇気があるなら、災いを転じて福となすことができる」
 これは米国の著述家デール・カーネギーの言葉である。
 心理学を学んでいる友人は、何かに思い悩む人にはまず「過去と他人は変えられない」ことを伝え、人生を変えるには過去を振り返らず自分が変わるように促すのだと話していた。なるほど、前向きで希望が湧いてくる素晴らしい教えであるし、結果的には、対人スキルに精通したカーネギーの基本的な考えにあるように、あるいは有名なイソップの寓話「北風と太陽」のお話にもあるように、自分が他人への行動を変えることによって他人の行動も変えることができる、という期待ももてそうである。
 たまには自分のあら探しをして、間違っていたとはいわないまでも、些細なことでも改善できるような点があれば、これをあらためるだけで2015年を今よりも素晴らしい一年に仕上げることができそうである。

(大森圭子)

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