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2015年10月号(第61巻10号)


写真提供: 株式会社アイカム

肺炎原因菌シリーズ 10月号
結核菌
Mycobacterium tuberculosis
「モルモット感染モデルの肺病巣内における結核菌の増殖過程をとらえた走査型電子顕微鏡写真」

 私にとっての結核は、幼い頃の記憶をよび起こし郷愁すら感じさせてくれる特別な病気である。山形県の片田舎の開業医の家に生まれた私は、子供心に結核という怖い病気があること、それに罹った人が周りに大勢いることを知った。診療所を兼ねた自宅の敷地内には10室ほどの小さな病棟があり、20〜30歳代の年若く一見元気そうな大人が常時何人も入院していた。後で分ったことだが、彼等のほとんどは結核患者であった。入院中に亡くなって家族に引き取られる光景を目にしたこともしばしばあり、その都度幼い胸が痛んだ。それもそのはず、1934年生まれの私の幼少期といえば、わが国の結核は死亡者が年間20万人(それも半数以上15〜29歳の若年者)にも及ぶ死因第1位の「亡国病」と恐れられた時代だったのである。そればかりか、私自身も高校2年生の時に結核罹患を疑われ、半年間も毎日数gもの抗結核薬PASを服用させられるという文字通り苦い経験も味わされた。
 私ごとはこの辺りまでにして、本題に入るとする。かくも深刻な事態をもたらしたわが国の結核も、結核予防法の制定(1951年)による制圧施策が効を奏し、制定当時人口10万当りほぼ700にも達していた新規患者発生率は2013年には16.1へと約1/40にまで順調に低下している。その背景には、結核の化学療法、診断法、さらには感染の転帰や重症度を決定する宿主・病原体相互作用の解明などに著しい進歩があったことはいうまでもない。こうした進歩を強く支えたのが、結核のすぐれた動物モデルの利用であり、新規抗結核薬・診断技術の開発・評価のみならず結核の発症機序、病理学、免疫学などの研究にも欠かすことのできない大きな役割を果たしてきた。
 結核の原因菌である結核菌(Mycobacterium tuberculosis)が自然感染するのはヒトだけであるが、幸いなことに実験動物を含めてほとんどすべての哺乳動物は結核菌に対する感受性をもつ。ヒトの結核に似た病像を呈する動物モデルとしては、マウス、ウサギおよびモルモットがふつう利用される。しかしこれらの動物種の間では結核菌感染に対する感受性も違えば(マウスが最も低く、モルモットが最も高い)、生じる病変もかなり異なるので、実験の目的に応じて最適な動物モデルを選ぶ必要がある。なかでもモルモットは、これまで結核の研究に広く使用されてきた。ごく少量の結核菌を経気道エアロゾル感染させると、ほぼ確実に数ヶ月から1年の経過で慢性に進行して死に到る。また結核菌感染への高い感受性や感染進行過程の病理組織像がヒトの結核とよく似ていることから、ワクチンの試験には最適とされる。加えて、結核菌抗原に対する良好な遅延型過敏性反応を呈すること、ヒトと同様のツベルクリン感受性をもつこと、経気道感染後の肺に結核の最大の病理組織学的特徴とされる乾酪壊死を伴う肉芽腫を形成すること、なども大きな利点である。
 本号では、このモルモットの感染モデルを使って結核の感染経過を走査型電子顕微鏡法(SEM)によって追跡した結果の一部を紹介する。エアロゾルによる経気道感染に用いた結核菌は標準株とされるH37Rvであり、感染動物の飼育とすべての実験操作はアニマルバイオセーフティレベル(ABSL)3の実験施設内で行った。
 感染2週後には、すでに菌は一部の肺胞内に認められ、局所の血管からは白血球、続いて単球(マクロファージ)が血管外へ多数遊出し、血清成分由来の滲出液とともに肺胞を充満してマクロファージを主体とする滲出性肺炎の像を呈した。感染3ヶ月後、マクロファージは類上皮細胞に分化して肉芽腫を形成し、乾酪壊死巣を被包化した。この病巣内のマクロファージの割断面のSEM像が左上の写真(×15,000)である。桿状の結核菌(紅色に着色)が細胞内で増殖しはじめているのが観察される。右下の写真(×5,000)は、感染5ヶ月後に採取した感染肺の壊死巣内マクロファージの割断面のSEM像であり、細胞内には無数の結核菌が充満している。

写真と解説 山口 英世

1934年3月3日生れ

<所属>
帝京大学名誉教授
帝京大学医真菌研究センター客員教授

<専門>
医真菌学全般とくに新しい抗真菌薬および真菌症診断法の研究・開発

<経歴>
1958年 東京大学医学部医学科卒業
1966年 東京大学医学部講師(細菌学教室)
1966年〜68年 米国ペンシルベニア大学医学部生化学教室へ出張
1967年 東京大学医学部助教授(細菌学教室)
1982年 帝京大学医学部教授(植物学微生物学教室)/医真菌研究センター長
1987年 東京大学教授(応用微生物研究所生物活性研究部)
1989年 帝京大学医学部教授(細菌学講座)/医真菌研究センター長
1997年 帝京大学医真菌研究センター専任教授・所長
2004年 現職

<栄研化学からの刊行書>
・猪狩 淳、浦野 隆、山口英世編「栄研学術叢書第14集感染症診断のための臨床検査ガイドブック](1992年)
・山口英世、内田勝久著「栄研学術叢書第15集真菌症診断のための検査ガイド」(1994年)
・ダビース H.ラローン著、山口英世日本語版監修「原書第5版 医真菌-同定の手引き-」(2013年)

ハチ退治と自然災害への備え

東海大学医学部 基盤診療学系臨床検査学 教授
宮地 勇人

 ハチの活動は夏から秋にかけて盛んになる。庭で突然、頭にチクッと刺された。痛みをこらえ、見上げると軒下に5センチほどの小さな巣がある。アシナガバチであった。退治法を調べると、市に駆除依頼できるのは凶暴なスズメバチのみとある。駆除業者もあるとのこと。自ら駆除することもできる。ハチ用の殺虫剤が有効とのこと。しかし、殺虫剤の散布で近づけば攻撃される。2度目は痛みだけでなく、アナフィラキシーショックで命取りさえありうる。
 ハチは意外にも視力が悪く、黒くて動くものは天敵のクマと見なして攻撃する。小生は、頭髪に恵まれてないが、ハチからすると、十分黒いらしい。攻撃対象として認められたのは、喜んで良いものか?黒い瞳も危ない。ハチの弱点は低温と雨で、活動が鈍くなる。そこで退治法として、水攻めを試みることにした。雨の日を待った。白い傘を盾に、黒い(?)頭は白い帽子で隠し、瞳はメガネで保護した。巣から距離をおいて、ホースで勢い良く放水し、一気に巣を落とすことに成功した。安心して庭を歩けるようになった。
 ある真夏の朝、玄関の扉を開けると、‘ブーン’とスズメバチが飛んできた。そんな朝が続き不吉な予感がした。注意して周囲を観察すると、驚愕で身震いした。なんと、あの凶暴なスズメバチの巣がある。玄関ポーチに置いていた自転車のスポークに見つかった。人の出入り口のため、緊急で駆除が必要である。市や業者に依頼する悠長な時間はない。水攻め退治法を再現することにした。その日は好天で、雨が降る気配はない。頑強なスズメバチは、水攻めの効果は不明で反撃の恐れもある。殺虫剤も準備し、決死の覚悟で恐る恐る水攻めを行った。何とか巣は落とした。頑強なスズメバチは力強く動き、今にも反撃の気配であった。必死に水攻めを続け、動きが鈍くなった瞬間、意を決して近づき殺虫剤にて止めをさした。
 アシナガバチで練習したお陰で、緊急時にスズメバチの大物を退治できた。ハチの生態を調べて水退治法を考案し、有効性を確認した地道な準備が実を結んだ。緊急事態への対応には、日頃の訓練が必要である。備えは自らを守る大きな力になる。ハチ被害も自然災害の1つである。いつ災害が起こるか判らない危険性が身近にある。地震、台風など大災害への備えにも訓練の大切さを改めて思う。

○日に日に秋も深まり、ゴールを求めて漂うような、はるか彼方からやってきたはかなげな日の光が、ビルの壁や道の隅に風で寄せられた落ち葉にようやくたどり着き安堵したようにそっと宿っている。
 薄手の服を重ね着しても肌寒さを感じるようになり、先延ばしにしていた衣替えも、そろそろ本腰を入れなくてはと思うこの頃である。
○本号には、野口英世記念会副理事長の竹田美文先生にご執筆いただいている“明治・大正・昭和の細菌学者達”シリーズの“番外編”として、編集委員の東條先生に「野口英世記念館を訪ねて」の記事をご執筆いただきました。取材の際は、私ども編集事務局も東條先生にお供をして記念館を訪問させていただきました。様々な趣向が凝らされ、分かりやすく整理された展示を楽しみながら野口英世博士の足跡をたどるうち、苦労の多かった人生や数え切れない偉業についてはもとより、博士と周囲の人々との心の触れ合いを知り、感激し、心があたたまりました。
○また私には、私の祖母が福島県喜多方市に住んでいたこともあって、まだ小学校に上がったばかりの頃に、祖母の家から家族とともに足を伸ばし、野口英世の生家を見学したおぼろげな記憶がありました。当時でも古びた家屋であった生家が、何十年もの時を経て当時と変わらない姿で残され、今また再会できるとは信じられないことでした。
 東條先生の記事のなかで紹介されている写真のとおり、黒光りする土間や当時の暮らしぶりを伝える生活用具などからも、生き生きとした生活感が感じられる生家を前にして、野口英世を尊び、野口英世と家族の暮らしぶりに思いを馳せ、生家を大切に保存してきた野口英世記念会や地元の方々のあたたかい心とご苦労が窺え、野口英世との心の交流が今もなお続いていることを実感しました。
○歴史の重みが感じられる生家、そしてそのすぐ横には今年4月に誕生したばかりの記念館があります。野口英世が生まれた1876年から数えても、生家と記念館には100年を大きく上回る年の差があるのですが、不思議と隔たりは感じられませんでした。
 まるで新しい記念館が生家を守るような形で仲良く並んでいるその眺めは、母親思いの優しい野口英世が、愛情に満ちた腕で母親のシカさんの肩を優しく抱いている姿にも似ているように思えました。
 子供から大人まで誰もが楽しめる野口英世記念館に、ぜひ一度足を運ばれることをお勧めします。
○今回の取材で大変お世話になりました竹田先生、総務課主任の野口由紀子様、学芸課主任の森田鉄平様をはじめ野口記念館の皆様に心より御礼申し上げます。

(大森圭子)

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